テーマ:「戦争違法化の流れと憲法9条」

講師:松竹伸幸(日本共産党政治外交委員)

【要旨】 2000年 公開学習会

 平和な世界で暮らしたいというのは、誰もがもっている自然な願いではないでしょうか。戦争を繰り返してきた人類は、その自然な願いをどうやったら実現できるか必死に考えてきました。その結実が20世紀における戦争違法化の流れです。そして、その一つの頂点として、戦争を放棄することを高らかにうたいあげた日本の憲法9条があります。

 どうしたら平和を実現できるのか、そして現在平和を脅かしているものは何なのでしょうか。(講師のお話を再構成。文責は民青駒場班にあります。)

1、19世紀の戦争と国際法が語るもの

 19世紀は植民地支配と戦争が自由に行われた時代でした。当時は戦争が悪であるという考えは存在せず、大国が勢力を広げる当然の手段として戦争が行われました。当時にも戦争に関する国際法はありましたが、その内容は、開戦時には宣戦布告をしなくてはならないということや、民間人を殺すことの禁止、残虐兵器の使用禁止など、戦争をどう行うかのルールに関するものにとどまり、戦争の自由が前提となっていました。

2、国際連盟から国際連合へ

 その流れが大きく変わったのは第一次世界大戦後でした。この戦争中にロシア革命を起こしソ連の指導者となったレーニンは戦争をやめるとともに、当時は当たり前だった秘密外交をもやめ、戦後の外交のあり方を変えました。こうしたなか戦後に作られた国際連盟は初めて戦争を違法と規定しました。そして、その後ロカルノ条約(1925年)やパリ不戦条約(1928年)など戦争をやめようという流れがでてきたのです。しかし、一方で国際連盟は手続きの面での戦争禁止にとどまっていたため実際にイタリアや日本の侵略を止めることができず、第二次世界大戦が起こってしまいました(1939年)。

 一方、この戦争中に戦後の平和を考えて作られた大西洋憲章(1941年)は画期的なものでした。武力の行使、さらには武力による威嚇をも禁止したのです。そして戦後、この精神が国連憲章となり、国際連合がつくられました。

3、国連憲章の定着と発展

 しかし、第二次世界大戦後も、実態ではこの憲章と大きく食い違って次々と軍事同盟がうまれました。そしてアメリカなどが侵略を繰り返したのです。しかしベトナム戦争が起きるとアメリカは国際的に批判をうけ、国際憲章を守れという声が世界中の人々から起こりました。こうして国連憲章は定着しました。

4、アジア情勢と日本の外交・憲法

 アジアでは戦後多くの国が独立しましたが、大国に常に左右されてきました。そんな中、平和・中立の外交を目指し、ASEANが非同盟・中立を宣言しました。今ではこれに東南アジアのすべての国が加盟し、アジアの平和の流れをリードしています。

 しかし、この平和の流れのなか、日米安保に固執し自衛隊も拡大し続ける日本は、まさしく逆行している存在となっているのです。日本には憲法9条という先進的な条文があるのに、これが全く生かされていないのが今の状態です。この平和の流れができている今こそ、その流れにのって憲法を生かした外交をすべきでしょう。

「20世紀は“戦争違法化の世紀”。」(参加者の感想より)

  • 講義とかで、20世紀は戦争の世紀だった、という人がけっこういるけど、実際の歴史を見てみると戦争は違法であるという考えが20世紀になって大きく広まり、また国際条約とかでもそういう考えで作られるようになったという話を聞いて、なるほどと思った。
    日本は武器輸出入三原則をもっている国だから、世界の武器輸出の規制の先頭に立つべきだとか、戦争をなくす方向で日本がどういう“国際貢献”ができるのか具体的な話があって面白かった。

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