連続講座『学問のすすめ』第8回

「現代社会と経済学の課題」

講師:平野喜一郎(三重大学教授)

【大要】 1997年10月23日

目次

1、科学としての経済学〜基本的な内容と方法
 ●未来を展望する学問とは

2、科学(モダン)VSポスト・モダン
 ●「もののけ姫」と「エヴァ現象」の底流
 ●「ポスト・モダン」とは?
 ●「効用学派」の破綻
 ●「均衡学派」の関係主義
 ●解剖学から始まった経済学

3、「通説」にとどまらず分析し、主体的に考えること、「常識」を疑うこと
 ●スミスは「自由放任」主義か
 ●マルクスの弁証法
 ●ケインズのキーワード

4、現代流行している「間違った観念」も経済学者の思想を受け継いでいる
 ●ケインズの警告
 ●いきつく先は「弱肉強食」

5、リカードの自由貿易論〜現在の資本家の論理
 ●「自由放任」の完全な表現

6、アダム・スミスの国債批判、軍事経済批判、植民地批判
 ●スミスのアメリカ独立論
 ●現代に生きるスミスの批判

7、マルクス『資本論』は生きている
 ●『資本論』第1部
 ●『資本論』第2部
 ●『資本論』第3部
 ●マルクスの目で見ると
 ●日本におけるマルクス主義

8、歴史を大きな視野(弁証法)で見ることの意義
 ●ブルジョアジーの300年と労働者階級の300年
 ●求められる学問の「大義」と生き方

1、科学としての経済学〜基本的な内容と方法

 私の専門は、経済学方法論というものです。この東京大学におられる見田宗介さんのお父さんである見田石介先生が私の先生で、私は大阪市立大学の大学院で最初に教えていただいた世代になります。

 見田先生は、最初はヘーゲル研究、ヘーゲルの美学や芸術論、論理学などにとりくまれ、それからマルクス経済学の方法論の研究へとすすまれた方です。私もそういう分野を自分の研究領域としてきましたが、これを経済学の教育に生かしたいと、つねづね考えてきました。経済学の方法は、分析的方法と弁証法的方法です。この方法を研究だけでなく教育にも応用すれば、経済学を学生たちによく理解してもらえるのではないかと考えてきました。

 私たちの認識は、感性から悟性へ、悟性から理性へとすすんでいきます。私たちは、まず五感をつかって対象を感じとります。もちろん、瑞々(みずみず)しい感性は大切であり、この働きによって問題の所在を認識することができます。しかし、この段階にとどまっていると、物事の現象面を表面的にしかとらえられません。そこで、頭をつかって分析する悟性の段階へすすみます。その際、現象の奥にある本質(理論)を見出すことも分析です。経済現象と本質とを統一したものが現実なのです。現実はたんなる現象ではなく、本質的なものも合わせて現実なのです。ですから、経済の現実と経済理論とは、切っても切れないつながりがあります。経済学が科学であるためには、悟性による分析が不可欠です。

 けれども、現在のようにあらゆる事柄が変化・発展そして消滅していく大変動の時代には、これまでの理論では解明できない現象も生じています。これらを大胆にとりいれ、理論そのものを発展させていく弁証法的な態度が必要になってきます。主体的な態度といっていいでしょう。

 ところで、80年代にはいったころから、経済学教育のあり方や受けとめられ方が、どうもこれまでとは変わってきて、これまでのように教えていても、なかなか学生に受けとめてもらえないという声が全国的に出てきました。

 経済学の分野で、このような状況が出てきた理由を私なりに考えてみますと、もちろん、さまざまな問題がありますが、一つは既存の理論を超えた諸事実、いわゆるME革命、情報化や国際化のひろがり、地球環境問題など、あらゆる意味でグローバル化がすすんだことです。もう一つは、それらの現象を感性的にとらえた「ポスト・モダン」という考え方が、ひじょうに広まってきた、時代であることが指摘できるのではないでしょうか。

 本日は、このこととの対比で、「科学としての経済学」という主題でお話をしてみたいと思います。

●未来を展望する学問とは

 私が大学生のころ、大きく時代がゆれているなと感じつづけていました。ちょうど60年安保の時期です。大学の運動、学生運動もたいへんに混乱していた時期で、1959年だったと思いますが、私は初めて駒場に来て、安保反対の集会に参加したことがありました。

 このころは、世の中が大きく動いている、歴史の激動期なのだということを、大学生であった私たちは実感していました。しかも、「これからの世の中はずっとよくなるぞ」という、たいへん明るい展望が私たちにはあったのです。

 ところが、私は現在も大変動の時期だと思うのですが、残念ながら若い人たちは、なかなか展望がもてないでいます。むしろ、展望というよりも、暗い見通ししかもてない。カウンセラーでもある心理学者の諸富祥彦氏は、若者も壮年者ももう疲れてしまっている、「むなしさの時代」などといっています。それがいったい、なにを意味しているのかということ自体が、問題となっている時代なのです。やはり、感性で感じるだけでは不十分なのです。

 問題の核心は、いまの時代というものが科学的によくつかめていない、それをつかむには感性だけではなく悟性や理性が必要である、ということではないでしょうか。経済学、とりわけ科学的社会主義の、マルクスを出発点とする経済学は、現代の問題をとらえ、さらに現代を解明(分析)するだけではなくて、未来を展望すること(弁証法)ができる学問です。

 経済学の理論は、経済現象を解き明かし、現実をしっかりと解明するためにこそあって、経済現象と関係のない、その意味では解き明かせない理論というようなものがあるとすれば、それはゲームの世界のようなものだろうと思うのです。

 公務員試験のための『経済原論』(加藤寛監修)の冒頭には、率直につぎのように書かれています。

 「ミクロ経済学は、虚構いっぱいの世界を描いている。人間行動の非合理的側面をバッサリ切り落とし、まるでコンピュータのような『消費者』を説明する。この消費者は、与えられた条件のもとで『効用最大化』を目標にして行動する」

 「ミクロとくに消費者行動はパズルであり、解法には定石がある。繰り返し問題練習を解いて、定石をマスターすること」

 まるで、囲碁か将棋の世界です。このような「現実の諸事実から導き出されたものではなく、単純化のためにとり入れられた不完全な仮説」(ケインズが新古典派経済学を批判したことば)ではなく、現実を解き明かす理論が必要です。

 さらに、時代がこういう激動の時期ですから、つぎつぎと新しい事態が起こってきます。これまでは既存の理論で割りきれていたような事象が、なかなか説明できなくなる。しかし、そういうことも、学問は、科学的な経済学は、解明していくことができるのです。学問は、一見、自分を否定するようなもの、反対に思われるようなことでも、主体的に大胆にとりこんで、それをいわば養分にして発展していくものだと考えています。今日は、そういうことを全体としてはお話ししたいと思います。

2、科学(モダン)VSポスト・モダン

 そこで、どこから切り口をつけようかといろいろ考えたのですが、いま若い人たちがいちばん関心をもっていると思われる映像表現を切り口にしてみたいと思います。

●「もののけ姫」と「エヴァ現象」の底流

 とくにこの夏は、アニメの「もののけ姫」が大ヒットしました。もうすぐ、赤ん坊からお年寄りまでふくめて、1億2000万人の10分の1がこれを観たことになる勢いです。この作品を観て、感性豊かな若い人は「感動した」といい、悟性的に考える中高年層は「ちょっとわからない」というのが一般的な感想のようで、評価が分かれています。もう一つは、例の「エヴァ現象」です。「新世紀エヴァンゲリオン」は若者を中心に広まり、さまざまな謎解き本が書店にならびました。

 これらの作品の内容については周知のことですので、ここでは内容には立ち入りませんが、こういうものが広まる背景としては、「近代VSポスト・モダン」という思想上の問題があると思うのです。近代的タタラ製鉄所と共生の森との争い、不完全な個人を全体化しようとする「人類補完計画」など、いずれも個と全体との対立というテーマです。

 近代とポスト・モダンのキーワードを対比すると、つぎのようになるでしょう。

 近代のキーワードは、啓蒙思想・個人の尊厳・まじめ・労働・生産・合理性、などです。

 他方、ポスト・モダンのキーワードは、集団・遊び・環境・共生・関係、などです。一見弁証法的ですが、同じではありません。

 近代は、モダンということですから、ポスト・モダンというのは、近代のあとに近代を超克して登場する、という意味合いです。近代というのは、私たちが経済学や法学など、いわゆる社会科学で勉強してきたことです。たとえば「啓蒙」というキーワードですが、教育すれば人間はだれでも発達することができる、無知蒙昧(もうまい)を打ち破れば人間は啓蒙され、よい社会を建設することができるbbこれは、ブルジョア革命前夜のフランスで広まった啓蒙思想、近代の思想です。それから「個人の尊厳」。これは人権思想、個人はもっとも尊いもの、かけがえのない存在だという考え方です。現在の日本国憲法の基本的な精神もこの考え方に立脚するもので、戦前日本の全体主義的な考え方を否定し、それに対峙(たいじ)して、個人の尊厳をつよく打ち出したものです。

 それから、アダム・スミスやそれ以後のいわゆる古典派といわれる経済学は、「労働」や「生産」というものをひじょうに重視するもので、消費より労働に重点をおく考え方です。さらにモダンは、科学性、合理性をひじょうに大切にする。非合理なものも科学が解明して、合理的に説明できるという考え方で、非合理主義を認めない。

 こういう、近代の科学的な考え方、近代民主主義の考え方を、私たちは戦後ひじょうに大切にして、それを学んできました。近代思想、近代科学、そして近代社会は、「モダン」ということばで表現されるものです。

 ところが、それにたいして、さきほどの見田宗介さんのお話では、だいたい1950年代まではそういうモダンの時代だった、ところが60年代をへて、70年代の中ごろからポスト・モダンの時代に入った、時代はポスト・モダンだとされています。経済学者の浅田彰氏も、80年代はポスト・モダンの時代だといい、一時期、ポスト・モダンの旗出として脚光を浴びました。

●「ポスト・モダン」とは?

 「ポスト・モダン」というのは、もともとは建築から出た言葉、概念です。60年代までは、ひじょうに機能的な建築、機能そのものが建築の美しさを表現するモダン建築が理想だったのです。建築以外で考えるとわかりやすいと思います。たとえばSL、蒸気機関車がなぜいまも人気があるかといえば、煙を吐きながら走るSLはひじょうに機能的なつくりをしていて、その動く機能がすべて外から見える。そこに人びとは機能美を感じるわけです。ところが70年代になると、機能美とは異質な、ごてごてとした装飾的な建築があらわれました。それがポスト・モダンの建築です。

 ポスト・モダンのキーワードをいくつか並べてみましたが、たとえば「関係」というキーワードがあります。つまりポスト・モダンは、それぞれの「もの」、それぞれの存在について、「これはなにか」と考えるのではなく、あれとこれとの「関係」を重視する考え方です。

 東京大学には、江口朴郎先生という国際政治史のひじょうにすぐれた研究者がおられましたが、江口さんの講座名は「国際関係論」とされていたようです。ところが、江口さんは、その名前がひじょうにいやだといわれていたことを、最近『出版ダイジェスト』の記事で知りました(97年9月21日付)。つまり、「関係」というのでは、民族そのもの、人民そのものが見えてこない、日本とアメリカ、日本と中国という場合でも、日米関係とか日中関係とかの「関係」をいくら説明しても、そもそも日本民族とはなにか、日本国家とはなにかということは見えてこない、というわけです。江口さんは「あの関係というのが嫌でね」といわれていたそうです。しかし、ポスト・モダンの流れのなかでは、この「関係」をキーワードとする考え方が広まりました。

 そして、浅田氏によれば、60年代と70年代のある時期までは「生産とテクノロジー」の時代だったが、ポスト・モダンの80年代は「消費とセミオロジー(記号論)」の時代だというのです。どういうことかといえば、生産と技術の向上により、もはや生産される商品の質は同質化した、いまやデザインやブランドや広告コピーによる「差異」があるだけだ、記号的差異によってつくり出されているのがポスト・モダンの現代社会だ、という考え方です。

 しかし、記号的差異にこそ意味があるということになれば、それによって描きだされる世界は、あたかも東京ディズニーランドのような、実在の世界からはかけ離れた虚構の世界です。そこには実体も時間もない空間が横たわっているだけです。時間がなく空間だけという思考は、ポスト・モダンの中心思想である構造主義や記号論の特質です。

●「効用学派」の破綻

 もうすこし、このポスト・モダンの特徴についてお話しします。この考え方は、いま見たように、わが国で流行となったのは1980年代にはいってからのことですが、新しいようでいて、ソシュールの構造主義言語学にまでさかのぼる、実は古くからあった考え方なのです。そしてソシュールは、この考え方をある経済学から学びました。

 それは、1870年代、ちょうどマルクスの『資本論』と同じころに出た、均衡理論という経済学の考え方です。この学派は、効用(=使用価値)という満足度を基本にして考え、価値はこの効用によって決まると考える効用学派から生まれました。つまり、消費サイドの経済学です。

 この時期、こういう消費サイドの経済学が出てきたのには、それなりの理由はありました。19世紀の初めはリカードの古典派経済学が主流で、それは、労働によって価値が決まるとする労働価値説でした。これは、資本主義の一定の発展段階で、まだまだ生産者に自由があった時代を反映した経済理論でした。

 ところが1870年代になると、もはや生産者=労働者は、生産の場で自由にふるまうことはできません。それは、いまの私たちも同様です。しかし、消費の場では、たとえば自動車を購入する際に、トヨタにするか三菱にするかという、そういう選択は可能です。消費者としては、その意味での自由がある。ところが生産者としては、まったく自由がない。農民であれば多少、生産の場での自由はあるかもしれません。しかし、現在の農業「自由化」のもとでは、それもきびしい状況におかれています。

 少なくとも、労働者は生産の場ではひじょうに不自由な思いをする。ところが消費の場では、かなり選択の余地、自由もある。そういう状況が100年ほど前の1870年代に出現して、そういう状況が背景にあって、「消費」を基本にする限界効用学派が出てきました。現在では、おそらく多くの大学でこういう経済学、ミクロの経済学が中心だと思います。

 効用というのは満足度です。だから、ここにある一杯の水は、いま話をしている私にとってはたいへんおいしく、その意味で効用が大きい。しかし、すでにお腹いっぱい水を飲んだ人にとっては、なにがしの価値もない。効用では価値は測れないのです。やはり、この飲料水をつくるにはどれだけ手間隙がかかったかという、生産の側の、労働の量で測るほうが客観的です。水は労働生産物ではないので、本来、価値はありません。しかし、おいしい水を採取し、それをペットボトルに詰めるという手間隙をかければ、そこに価値が生まれるのです。

●「均衡学派」の関係主義

 このように、生産サイド、労働サイドで考えたほうが、はるかに客観的です。それでとうとう、満足度で価値を測ることを主張していた人たち自身、とくにワルラスという経済学者たちが、効用では測定不可能だとして効用学説を撤回し、それよりは「均衡」を中心にしようということで、「均衡理論」に変わっていきました。

 その説明によれば、「均衡」というのは、池に石を投げ込むと最初は波立っているが、そのうちにどこかで、波はおさまり水平な水面にもどる、こういう状態が均衡だ、という。効用学派はこの均衡理論へと収斂(しゅうれん)していきました。そして、この均衡理論が、のちに近代経済学(modern ecomomics)と呼ばれるようになり、古典派経済学やマルクス経済学などの「古くさい」経済学ではない、新しい、モダンな経済学として、ある意味で主流になります。ちなみに、ノーベル賞を受賞するような経済学理論は、だいたい、こういう均衡理論を中心にした経済学です。

 この均衡理論では、その対象から社会現象、政治現象、歴史現象を排除して、「純粋に経済学的な諸現象」(ワルラス)だけをとりあげ、しかも、利子と投資の関係、所得と貯蓄の関係等々、諸現象の数量的な相互関係、均衡関係だけを問題にします。そもそも利子とはなにか、そもそも消費とはなにか、などは問わず、もっぱら関係だけを問題にする関係主義です。

 ワルラスという均衡論者は、物理学者マッハの考え方の影響を受けています。マッハは、レーニンの『唯物論と経験批判論』のなかで批判の対象とされたことで知られている人物です。このマッハが、徹底した関係主義なのです。彼は実体や因果というカテゴリーを認めず、物質と精神の二元論も排除します。世界を成り立たせているのは色や音などの感性的要素であり、科学の任務は、これら諸要素の関数的関係を記述することであると主張しました。

 たとえば野球の場合、これまでの力学では、力という実体概念によって、バットに力が加えられて動き、その結果、バットがボールにあたり、ボールに力が加えられてボールが飛ぶ、と説明していたものを、マッハは、経験科学的にとらえることができるのは、バットが動いたこととボールが動いたことだけであり、この二つの事実の数量的関係だけを考察すればいい、力などという実体概念は必要ない、というのです。

 こういう考え方のつよい影響を受けて、ワルラスなどの均衡理論は生まれました。

 さらに、この均衡理論には空間だけで時間がないという特徴があります。この点で、均衡理論はポスト・モダンの考え方と共通するものがあります。歴史=時間や発展という契機を排除し、どこかで止まってしまったような空間的な関係だけを問題にする経済学です。

●解剖学から始まった経済学

 以上のように見てくると、ポスト・モダンの考え方は、必ずしも、それ自体新しいものではなく、今日の時代に新しいよそおいで出てきた思想であることがわかります。そして、この大学での講義内容がポスト・モダンと、経済学では均衡理論だという意味がよくわかります。両者は思想的には同じです。

 こうした思想動向にたいして、私自身はさきほどのべたような近代科学の方法を重視します。近代科学の方法とは分析的な方法のことです。分析というのは、分けること、物事が「わかる」というのは、「分ける」ことなのです。

 そもそも、経済学は解剖学から始まっています。経済学の生みの親であるペティやホッブズは、同時に解剖学者でもありました。人体を解剖していくやり方で社会や国家、経済を解剖していけば、なにか見えてくるのではないか、と彼らは考えました。経済学というのは、分析=解剖学なのです。

 しかし分析というのは、解剖がそうであるように、死んだもの、静態的なものを対象にします。対象は動かない。しかし現実には、経済現象はつねに動く。だから、分析だけでは不十分で、弁証法的な、つまり、物事を全体的、歴史的にとらえる見方が必要になってきます。

 ポスト・モダンは、「全体的」というところでは弁証法と似ているようにも見えます。しかし、空間的な関係のみを重視するという点で、弁証法とは決定的に異なります。ポスト・モダンには「歴史的」という時間的視点が欠落しています。弁証法は、歴史的な関係を見ます。事物の生成・発展・消滅という、その歴史的なつながりをポスト・モダンは見ません。

 私は、すべてポスト・モダンが間違いだとか悪いとか決めつけるつもりはありません。キーワードでしめしたように、「集団」とか「環境」とか「共生」とか、これからの社会のあり方を考えるうえでの一定の方向性を、ポスト・モダンはしめしているからです。

 では、「遊び」というのはどうでしょうか。これは、「まじめ」にたいしての「遊び」です。芸術の領域などでは「遊び」もけっこうだし、ポスト・モダン芸術を頭から否定する必要はないでしょう。ただし、経済学や歴史学、法学などの社会科学にこの「遊び」ばかりがはいってくるようだと、ほんとうに切実な問題の解明が抜け落ちて、社会科学ではなくなってしまいます。

 そういう傾向の現れの一つを、この東京大学の教官たちによる『知の技法』、『知の論理』、『知のモラル』の三部作に見ることができます。中身を読むと、「ショアー」という映画を論じた文章などは面白いものでした。しかし、全体として見れば、教官たちがそれぞれ、自分が面白いと感じていることを面白がってやっている。まさに、「遊び」だと思います。

 ポスト・モダンが提起している諸問題は、たしかに、それはそれとして受けとめなくてはなりませんが、そうかといって、ポスト・モダンの立場からする近代の否定ということになると、これは困ります。基本的人権とか科学的な合理性というのは、現在でもひじょうに大事な価値だからです。近代の達成をふまえたうえで、ポスト・モダンが提起している問題を受けとめることが大事だろうと思います。

3、「通説」にとどまらず分析し、主体的に考えること、「常識」を疑うこと

 つぎは、では経済学をどのように学んでいくのかという問題です。

 みなさんにも覚えがあるでしょうが、高校の「政治・経済」的「通説」や「常識」というものが根強くあります。たとえばそれは、アダム・スミス=自由放任=『国富論』、マルクス=社会主義・共産主義=『資本論』、ケインズ=修正資本主義=『雇用・利子および貨幣の一般理論』、などというものです。なるほど、これはまったくの間違いではないのですが、いかにも感性的、表面的、通俗的な把握であって、スミスもマルクスもケインズも、その思想や学説にはもっと奥深いものがあるのです。そこに踏み込むことなく表面的、通俗的な把握にとどまると、思わぬ謬論(びゅうろん)に足をすくわれることにもなります。

●スミスは「自由放任」主義か

 たとえば、スミス=自由放任論という理解です。今日、市場万能論、「規制緩和」万能論というものがさまざまにふりまかれていて、その際、その元祖、本家本元としてスミスが引き合いに出されることが多々あります。たしかにスミスは『国富論』第一編第一章を分業論から始め、分業によって生産性が高まる、そして人間の自由な利己心の発揮、自由な交換、自由な市場が一国の成員全体の富裕と幸福をもたらすと、それにつづく各章で議論を展開しています。

 しかしスミスは、手放しでそのことを主張しているわけではありません。本日のレジュメに、『国富論』の第五編第一章第三節の部分を引用しておきましたので、それを見てください。スミスがもっとも重要だと考えたキーワード、概念は「分業」ですが、その「分業」の影の部分を彼はちゃんと見ているのです。スミスは、「分業が進展するにすれ、労働によって生活する人々の圧倒的部分、すなわち人民大衆の職業は、少数のごく単純な作業に、しばしば、一つか二つの作業に、限定されるようになる」といい、そうすると、「およそ創造物としての人間がなりさがれるかぎりのばかになり、無知にもなる」といっています。

 分業が人間をこういう状態におとしいれてしまう、とスミスはいうのです。「精神が遅鈍になり、なにか筋のとおった会話に興をわかせたり、それに加わったりすることができなくなるばかりか、寛大で高尚な、またやさしい感情をなに一つもつこともできなく」なる。この指摘には、残業や長時間労働で、本当に考える力も奪われてしまう現代の労働者の状態を髣髴(ほうふつ)とさせるものがあります。分業をたたえたスミスが分業の害をリアルに説き、その節の最後を、「これこそ、政府がそれを防止するために多少とも骨おらぬかぎり、労働貧民、すなわち人民大衆が必然的におちいらざるをえぬ状態なのである」と結んでいます。

 つまりスミスは、けっして「自由放任」ではありません。放っておけば万事うまくいく、自由放任にまかせておけばいいというのではなく、政府のやるべきことはいろいろとある、というのです。この節は全体として青少年の教育を論じている部分ですが、この節の少しさきのところでは、貴族など「多少とも身分や財産のある人々」は、その子弟にたいし、みずからの費用での教育をほどこすことが可能だが、庶民の教育はそういうわけにはいかない、貧しい庶民の子弟の教育は政府がきちんとおこなうべきことだ、その責任が政府にある、ということも主張しています。

 ですから、けっして「自由放任」ではない。そもそもスミスは、「自由放任」などという言葉を使っていません。「自由放任」=レッセ・フェールというのは、それがフランス語であることからも推察できるように、フランスの自由放任主義者の言葉であって、スミスの言葉ではありません。ところが、「スミス=自由放任」という「通説」や「常識」のうえに、いま日本ですすめられているような市場開放万能論をスミスが説いたかのようにいう人がいます。そういう人は、実は『国富論』をきちんとまじめに読んでいない。ここは一つ、しっかりと『国富論』を読んで、自分の頭で考えてもらいたいと思います。

 ついでにいいますと、『国富論』のこの第五編はたいへんに面白い部分です。この第五編「主権者または国家の収入について」は、国家の公共性や国家財政を論じているのですが、国家の経費や歳出との関連で、教育論や大学論も論じられています。ここがひじょうに面白い。スミスは若いころ、オックスフォード大学(いまの日本でいえば、ちょうど東京大学です)でたいへんいやな目にあったことがあって、だからでしょうか、オックスフォードの悪口をさんざんに書いています。「オックスフォード大学では、正教授の大部分は、このところ多年のあいだ、教えるふりをすることさえまったくやめているありさまである」。若い時分にスコットランドから、イングランドのオックスフォードへ大きな期待をもって学びに出たがひじょうに不満が残った、それにくらべて、自分の母校であるグラスゴウの大学はよかったという心のうちを、晩年に書いたわけです。

 このあたりの面白いところからなど、『国富論』はどこから読んでもよいのです。よくいわれるように、マルクスの『資本論』は構成そのものがドイツ語的です。ドイツ語というのは、規則どおりに基礎からガッチリと積みあげていかないとなかなかマスターできません。ところが、英語というのはひじょうに不規則で、どこからはいってもいい、要するに慣れればいい、といわれます。だから、マルクスの『資本論』はドイツ語のように最初から積みあげていけ、『国富論』は興味のあるところからはいっていって、慣れればいい、といわれたりするわけです。

●マルクスの弁証法

 つぎに、マルクスにかんする「通説」はどうでしょうか。

 マルクスは資本主義社会を総否定したbbこういうことが一般にはいわれています。だから、理想とするところは共産主義で、それ以外はなにも認めない排他的な思想だといわれたりします。

 ところがマルクスは、『共産党宣言』のなかでも、『資本論』でも、人類が生産力を高めていくうえでの資本主義の歴史的な意義や役割をきちんと認めています。資本主義のもとで、人類が勤勉になり、知識や技術を高めていくことを「資本主義の文明化作用」とよび、その意義を評価しているのです。『資本論』は、資本主義を全面否定する書物だというのが「通説」であり「常識」的な見方ですが、マルクスの方法、『資本論』の方法は、そういうものではありません。マルクスは、肯定的理解のうちに否定の契機をつかむこと、弁証法とはそういうものだとのべているのです。ポスト・モダンの人たち、あるいは経済人類学の人たちは、資本主義は悪であるとか、ガンのようなものだとか、頭から否定するようなことをいいますが、そんなものではありません。資本主義の形成と発展には、社会的生産力を高めるという歴史的な役割があるのです。

 ただし、資本主義のそれはあまりにもアンバランスな高め方になるものですから、ほんとうに人間的な生産のあり方とはなにか、という批判の契機がそこに生まれ、それが社会主義・共産主義という思想の契機へとつながっていくのです。肯定の中から否定の契機が生まれてくるというのがマルクスの考え方であって、資本主義の全面否定とか総否定ではない。スターリンの考え方は、資本主義的な要素はすべたたたきつぶせという総否定論でした。だから、小農民の所有ですら彼には資本主義に見えて、それを根絶するという政策を強行的に推進したわけです。そういうやり方が誤りであったことは、今日ではあまりにも明白です。

●ケインズのキーワード

 最後に、ケインズにかんする「通説」と「常識」を見てみましょう。

 ケインズ経済学の「常識」としては、資本主義というのは、国家(政府)が乗り出して修正していけば、それでうまくいくのだという「修正資本主義」論として理解されています。たしかに、アメリカのケインジアンは、ふつうそういう考え方をするようです。しかし、それがケインズの経済思想の核心を表現したものであるかといえば、はなはだあやしくなります。

 本家イギリスのケインジアンは、それほど単純な議論をしているわけではありません。とくに、ケインズのすぐれた弟子であったジョーン・ロビンソンという女性の経済学者は、ケインズのキーワードは「不確実性」だと考えていました。将来の不確かさ、不安定さ、これがケインズのキーワードだというのです。つまり、ケインズは、資本主義を多少修正していけばうまくいくなどとは、けっして考えていない、もっと危機的なものと見ているというのが、イギリスのケインズ主義者たちの理解です。事実、そういう立場からのアメリカのケインジアン批判などもあります。私は、そのほうがケインズの理解として正確だろうと思います。

 ケインズは1946年、第二次世界大戦が終わった翌年に亡くなりましたから、昨年(1996年)がケインズ没後50年の年でした。なにか、大きな記念行事で盛り上がるかと思っていたら、そうでもありませんでした。それほどに今日、ケインズは低められています。私が大学へはいったころは、マルクスよりはケインズ、「ケインズを読まなければ経済学徒でない」というくらいのケインズ・ブームでした。その時期にくらべれば、いまはたいへんに評判が悪い。ケインズの考え方を、フィスカルポリシー、財政政策でうまくいくという考えだと安直に理解し、実際にはそううまくはいかなかったということで「ケインズはダメだ」といわれているわけです。しかし、ケインズは、そういうことでうまくいくとは、必ずしもいっていません。これもひとつ、ケインズを実際に読んで、ぜひ自分で確かめてほしいことです。

 以上、スミス、マルクス、ケインズについての高校「政治・経済」的「通説」や「常識」を例にして、なにか安易な「通説」や「常識」をつくりあげて、それで簡単にすましてしまう風潮の危うさ、主体的に学ぶことの重要さをお話ししました。

、現代流行している「間違った観念」も経済学者の思想を受け継いでいる

●ケインズの警告

 ケインズは、経済学者の思想というものはひじょうに影響が大きいということを、主著である『一般理論』の最終章でのべています。彼はつぎのようにいっています。「経済学者や政治哲学者の思想は、それが正しい場合にも間違っている場合にも、一般に考えられているよりもはるかに強力である。事実、世界を支配するものはそれ以外にはないのである。どのような知的影響とも無縁であるとみずから信じている実際家たちも、過去のある経済学者の奴隷であるのが普通である。権力の座にあって天声を聞くと称する狂人たちも、数年前のある三文学者から彼の気違いじみた考えを引き出しているのである」。そして、この社会は「既得権益」を守ろうとする力学によって動いているように見えるけれども、それよりも、経済学者の思想のほうがはるかに危険な影響を社会におよぼすのだ、と警告しています。

 このケインズの指摘を、現代日本の現実で考えてみたいと思います。

 たとえば、「規制緩和」というキーワードがあります。いま、「規制緩和をすれば万事うまくいく」という考えがいたるところでふりまかれてます。さらに「規制緩和」の議論の流れのなかで、「民営化」というキーワードも現実政治のなかでしきりと飛びかっています。

 最近も、郵貯、郵政三事業の独立行政法人化ということが大きな話題になりました。これは「民営化」とはすこし違いますが、エージェンシーといって、国の事業のなかで採算性は高いが民営化にはなじまない業務に独立の法人格をあたえ、行政組織の枠外に出し、将来は民営化も想定するという構想です。サッチャー首相時代のイギリスで多くの事例があります。この構想は、ある意味では民営化よりも危険な考え方だといわれています。国は口を出し管理だけはやるが、面倒はみない、ゆくゆくは民営化も考える、という考え方だからです。

 国立大学をエージェンシー化しようという議論もあります。

 国立大学をめぐる状況はひじょうに危機的で、「規制緩和」や「民営化」の議論と軌を一にする研究の効率化という発想から、それを実現する一つの方法として、大学教員への任期制の導入がすすめられています。しかし、本来、教育とか福祉とかの分野は「市場」になじまないもの、採算性や効率化だけを問題にすべきではないものであり、それらは国や自治体が責任をもっておこなうべきものです。

 もちろん、市場にまかせてかまわないものも、なかにはあるでしょう。しかし、規制緩和一辺倒、市場一辺倒という現在の流れには賛成できません。現実には、コメの開放など農産物の輸入自由化がすすめられ、日本の農業は危機的なありさまですし、金融の完全自由化=ビッグバンも目前に迫っています。イギリスにおけるビッグバンでは、その結果、国内の銀行や証券会社などが倒産し、淘汰(とうた)され、かなりの部分がアメリカ系大資本の支配のもとにおかれてしまいました。日本でも、同様の事態が起こることが必至であるといわれています。

●いきつく先は「弱肉強食」

 すべて市場にゆだねればよいという、こうした規制緩和推進、市場一辺倒の考え方は、さきほどの「通説」や「常識」では、アダム・スミスのものだとして引き合いに出されるわけですが、すでに見たように、けっしてそうではありません。むしろ、それは、ミクロの経済学、均衡理論の経済学などの主張です。

 これもまた「常識」的な理解では、「市場」というものは一見すると、フェアな競争がおこなわれる場であるように考えられています。しかし、総会屋などアンフェアな勢力が水面下でうごめいていることは周知のとおりです。アメリカでも、アンダーグラウンドの世界は広範に見られます。

 しかも、実際には、市場にはいり込むためには、それだけでもたいへんな犠牲を強いられます。農産物の場合、日本はアジアからいろいろなものを輸入しています。その際、日本の市場に商品として送り出すための、形や重さなど実に厳格に決められた企画がある。大きくてもいけない、もちろん小さくてもいけない、ちょっと曲がっていてもいけない。たとえば、タマネギはいま、ずいぶんとタイから輸入されていますが、日本の市場のためにだけ、タイではタマネギをつくっているといっていいでしょう。そのタマネギがきびしい規格ではねられる。しかし、タイの人はタマネギを食べる習慣があまりありませんから、はねられてあまったタマネギは腐らせてしまう。たいへんなムダです。

 タマネギにかぎらず、また農産物にかぎらず、また外国産にかぎらず、きびしい規格で、しぼりにしぼられたものだけが日本の市場にのぼるわけです。だから、「フェアな競争」の場であるという市場の裏側には、たいへんな犠牲、捨て去られたものが膨大に存在します。

 これはかなり特別な例でしょうが、プロ野球の選手になるというのも一つの市場です。そのためには甲子園に出場する、これも市場です。甲子園にいき、さらにプロ野球の選手になれた人は市場にのれた人ですが、その市場にのれない野球少年が、北海道の果てから沖縄まで、無数に存在している。毎日毎日、練習を重ねても、ちょっとのところで負けてしまう、挫折(ざせつ)してしまう人が無数にいて、そのうえに、陽のあたる市場というものがある。

 これは極端な例でしょう。しかし、多かれ少なかれ、市場というものは、そこにのぼるためには大変な犠牲を強いられるところであり、のぼれない人が無数にいることを忘れてはいけません。アメリカでも黒人やアジア系、またヒスパニックなど、市場にのぼれない大勢の人たちが社会の底辺にいます。

 日本人も、このところの金融資本の倒産に、市場のおそろしさを目の当たりにしました。市場は非情なのです。それはまさに弱肉強食の場であって、「規制緩和」、「自由化」、「効率化」などのかけ声のなかで、社会のあらゆるところにそういう「市場原理」が押しつけられるとしたら、そのために払わされる私たちの犠牲は、はかりしれないものになります。

5、リカードの自由貿易論〜現在の資本家の論理

 「自由放任」、「弱肉強食」という理論、考え方がどのように出てきたのかということで、マルサスとリカードを見てみましょう。

 マルサスという経済学者は『人口論』を書いたことで有名です。リカードとマルサスはライバルで、盛んに論争もするのですが、結局、リカードはマルサスの考え方をある面でひじょうに強く受けいれてしまいます。それは、「弱肉強食」、強いものが勝ちだという考えです。この考え方は、社会を改良するなどということはできず、政府のできることは、せいぜい人口制限ぐらいだという人口論にいきつきます。

 人口論というのは、人間の生存権というものを否定してしまうこわい考え方です。さきに席を占めたものが勝ち、あとから来たものが負けるのは仕方がないという、きびしい弱肉強食の世界に引き込んで、社会を描くわけですが、それにリカードはとらわれました。

 ケインズはこうした「自由放任」の考え方に反対して、『自由放任の終焉』という有名な小冊子を出しています。そこでケインズは、競争に負けた弱者が倒れるのは当然だとする「自由放任」の考え方を批判して、つぎのようにいいます。

 「このことは、それぞれの資本とか労働とかを誤った方向につぎ込む者に対しては、情け容赦も保護も考えてはならない、ということを意味している。それこそは、効率の劣る者は破産させて、最も効率のよい者だけを残すという過酷な生存競争を介して、利潤をあげるのに最も成功した者だけを上位に押し上げる方法である。それは、生存競争の過程で生じてくる犠牲などには見向きもせず、永遠のものとされる最終結果の便益だけに注目しているのである」

 ケインズは、長い首のキリンの話を例にとって「自由放任」をするどく批判しています。「もしかりに、できるかぎり高いところにある木の枝から葉をむしりとることが生活の目的であるとするならば、この目的を達成するもっとも適合した方法は、いちばん首の長いキリンがそれより首の短いキリンを餓死させてしまうがままにまかせておくことである」。「自由放任」というのは、まさにいちばん首の長い有利なキリンの立場に立った考え方なのです。首の長いキリンが好き勝手にふるまい、劣ったキリンは敗れていく、そういう社会でいいのかと、ケインズは「自由放任」をきびしく批判している。いま、ケインズ批判が盛んなのは、実はケインズのこのような考えを否定しようとしてのことです。ケインズとともに「福祉」を抹殺しようとしているのです。

●「自由放任」の完全な表現

 それにたいして、マルサスやリカードは、やはり「自由放任」の世界です。それが外国貿易論に応用されると、外国から穀物をどんどん輸入したらいい、という自由貿易論になります。ケインズがさきの小冊子論文で、「自由貿易というもっとも強烈な表現をもって、自由放任の経済学説が完全に表現されることになる」と指摘しているとおりです。

 リカードは、外国から小麦が自由に輸入されれば、イギリスの穀物価格は低下する、そうすれば、賃金は安くてすむという。彼は均衡論者とは異なり、賃金と利潤が敵対することを理解していました。ここのところは、マルクスも大いに評価する点です。賃金と利潤は対立する、だから資本家と労働者の利益は対立する、地主と資本家の利害も対立する、現実の社会は階級社会なのだということを、リカードはきちんと見ているのです。

 しかし彼は、資本家の立場に立って、賃金水準が低下することは利潤が増えることであり、それで資本は蓄積することができる、それはいいことなのだと考えていました。まさに資本家の立場で、貿易の自由化を主張しました。今日の日本の農業自由化論者、「規制緩和」論者も、外国から安いコメがはいってきたらいいというリカード流の論理、資本家の論理で、「自由化」を主張します。まさにケインズがいうように、過去の経済学者の思想はこのようなかたちで現代に「力強く」生きているのです。

6、アダム・スミスの国債批判、軍事経済批判、植民地批判

 いまの例とは逆に、現代にもっと生きのびてほしい経済学の思想というものもあります。それはたとえば、アダム・スミスの公債批判の議論です。

 『国富論』の最後は公債論で、ここで彼は、公債(public debts)、日本でいえば国債を批判しています。まさに現代につながる問題です。スミスは、公債というのは軍事費、戦費を調達するための借金であると、ずばり指摘しています。

 「戦争が勃発すると、政府はその経費の増大に比例して収入を増微することをいやがるし、またその能力もない。それをいやがるというのは、政府が国民の怒りを買うのを恐れるからであって、国民はひじょうに巨額の増税が突如としておこなわれると、まもなく戦争を嫌悪するようになるであろう……」。「借入金によるならば、あまり増税をしないでも、政府は戦争を継続するのに十分な貨幣を年々調達することができる」。

●スミスのアメリカ独立論

 そもそも、なぜ巨額の軍事費、戦費を調達しなければならないのかというと、それは当時のイギリスがアメリカという植民地を維持するために必要としたからでした。スミスは、帝国による植民地の領有と維持がいかに莫大な支出をともなうものであるかを縷々(るる)のべて、「大ブリテンの支配者たちは、もう一世紀以上ものあいだ、われわれは大西洋の西岸に一大帝国を領有しているという想像で国民をよろこばせてきた。けれども、この帝国は、これまでのところでは想像のなかだけに存在していたにすぎない。……それは帝国ではなくて帝国についての計画であり、……しかもこの計画は、利潤をもたらすみこみがまったくないのに、すでに膨大な経費がかかったし、現にひきつづきかかっている」と批判しています。そして、「もしこの計画が完成しえないというのであれば、当然それは放棄されるべきものである」、つまり、スミスの結論は、アメリカを独立させなければならないという、アメリカ独立論です。

 ちなみに、1776年はアメリカで独立宣言が出された記念すべき年ですが、同時にこの年は『国富論』が出版された年でもありました。

 当時、アメリカではイギリス本国がかけてくるさまざまな種類の高い税金への怒りが頂点に達していました。1773年には、イギリス政府が破産しかけた東インド会社の救済のため、植民地にたいする茶の独占販売権を認めたことに抗議し、東インド会社の船を襲い、茶箱を海に沈めるという事件がボストンで起こり、イギリスとアメリカとの緊張は一気に高まっていきます。そしてついに1776年、本国への反乱、アメリカ独立戦争が起きます。それと同じ年に出された『国富論』の公債反対論のなかで、スミスはイギリス人として、アメリカを独立させるべきだと主張したのです。

●現代に生きるスミスの批判

 いま日本では、必ずしも軍備調達のためではありませんが、悪名高い公共投資のために、国は借金に借金を重ねて、その累積赤字がどうしようもなくなり、大問題になっています。大企業を潤すだけのムダな公共投資のために、莫大な額の国債の発行を重ねてきたのは、やはり、国民の目をあざむいていたのです。その二百数十兆円という借金の重みが、いまずしっと私たち国民の肩にかかってきています。

 アメリカの場合は軍事費です。アメリカはとくに80年代、借金で追いつめられて危機的な経済状況でしたが、その借金はほとんどすべて、ベトナム戦争はじめ、世界中に戦争を拡大していくための戦費でした。ちょうど、かつてのイギリスがスミスに批判されたときのように、アメリカは軍事費を借金で増やすという同じ過ちをおこなったのです。

 ところがアメリカは、もちろん自国の国民からも借金したわけですが、日本からも借金しました。日本は対米貿易黒字の問題でずいぶんとアメリカにたたかれましたが、しかし、この黒字はどこへいったのか。実はアメリカの公債を購入するというかたちで、アメリカに貸しているのです。日本の国民がほんとうに長時間過密労働を強いられて生産した商品がせっせと安い値段で輸出されて、それで貿易黒字が増え、それをまたアメリカに貸している。日本政府の姿勢は、二重に国民を欺くものといわなければなりません。

 このような現代の問題についても、スミスの公債批判や植民地批判は、真理に迫る本質的な視点をあたえてくれています。くり返しになりますが、ぜひ『国富論』の第五編から読まれることをおすすめします。

7、マルクス『資本論』は生きている

 いよいよ、マルクスの問題になります。結論先取り的にいえば、現代の問題を考え、解明していくうえで、マルクスは生きている、『資本論』は生きていると、私はいいたい。マルクスや『資本論』を評価する人のなかには、今日の問題は今日の問題、『資本論』は『資本論』と、切り離してしまう考え方もありますが、私はそうではないと思います。

●『資本論』第1部

 たとえば、『資本論』第1部の剰余価値論、蓄積過程論は、もうけがどこから生まれるか、それはだれの手に渡るのかを論じた重要な部分で、マルクスはここで、一方の側に富が蓄積されればされるほど、もう一方の側には貧困が蓄積されるという資本主義の仕組みの秘密をするどく解明しています

 マルクスが暴いたこの仕組みは、過去のものではなく、現在も生きつづけている仕組みです。今日の『赤旗』に興味深い記事が出ていました(97年10月23日付)。ドイツの有力週刊誌である『シュピーゲル』誌の「分裂するドイツ社会」という特集の紹介です。その紹介記事に雑誌の表紙写真が掲載されているのですが、そこには大きな文字で、Die Reichen reicher, die Armen armer...(「金持ちはますます金持ちに、貧しいものはますます貧しく」)と書いてありました。

 『シュピーゲル』のい特集記事によれば、上位5%の富裕層が個人資産全体の3分の1を所有し、一方で、1980年から95年にかけて、社会扶助受給者は約227万人と2.5倍にもなり、債務超過におちいっている家計は200万世帯におよんでいます。まさに富めるものと貧しいものへのドイツの分裂です。ある世論調査機関の「階級対立、階級闘争という古い公式が社会の現実にぴったりあてはまっているという見方がしだいに増えている」という分析も、この特集は伝えています。

 国と国との関係で見ても、富める国と貧しい国との格差が拡大しているという問題があります。世界の人口のうち13億の人びとが、1日1ドルぐらいで生活しています。まったくの極貧層ですが、これが10年前にくらべて1億人ぐらい増えているというデータもあります。

 先進国のなかでも、アメリカはいまひじょうに景気がよくて、一人勝ちしている状況にありますが、ヨーロッパは、フランスでもドイツでも失業率が12%以上という、深刻な不況下にあります。アメリカは株価が高水準を維持し、失業率も低下してはいますが、反面で、正規の労働者の相当数(約3割ともいわれています)が、パート労働者に転落しています。その意味では、好景気といっても、労働者にとっては状態は悪化しているわけで、極貧層も増えています。

 このように、富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しくという、マルクスが解き明かした資本蓄積のメカニズムは、現代の資本主義にも厳然と貫徹されているわけです。日本も例外ではありません。エンゲルスは貧困化の重要な指標として「将来の不安」をあげていますが、いま不況下の日本を覆っているのは、この「将来の不安」です。

●『資本論』第2部

 さらに、『資本論』第2部には、景気循環や恐慌のメカニズムを解明するうえで基礎となる理論があります。マルクスは必ずしも恐慌論を体系的にしめしてはいませんが、この第2部や『資本論』第4部ともいわれる『剰余価値学説史』での叙述を見ると、マルクスの基本的な考え方は、恐慌(パニック)は生産と消費の矛盾の暴力的解決だというものです。『剰余価値学説史』では、「世界市場恐慌は、ブルジョア経済のあらゆる矛盾の現実的総括および強力的調整としてつかまなければならない」とのべています。

 ブルジョア経済の矛盾というのは、生産と消費の矛盾です。資本というのは「自己増殖する価値」ですが(マルクスは『資本論』第1巻でこのことを詳細に論じています)、そのためには絶えず生産を拡大しなければなりません。生産のための生産がおこなわれることが、資本主義の特徴でもあります。しかし、やがて生産が過剰となり消費を上回るかたちで生産と消費の矛盾が頂点に達すると、その社会的再生産の過程はいわば暴力的に、力づくでカットされてしまいます。それが、恐慌、過剰生産恐慌です。

 資本主義というのは、たいへんな装置を内包しています。各家庭にある電気の安全器は、電気を使いすぎると、とたんに回路が遮断されたり、ヒューズが飛んだりして、それ以上に電気が流れないようにはたらきますが、恐慌はそれに似たはたらきをするわけです。あまりにも生産が過剰になると、バシッと生産を切ってしまう。それはたいへんに暴力的です。労働者は失業者として街に放り出されてしまい、工場設備は遊休設備になり破壊されることもある。そういう力です。

 しかも、恐慌は1回限りのことではなく、周期的にくりかえされます。マルクスの時代には、恐慌b不況b活況b繁栄b恐慌という産業循環(景気循環)がほぼ10年周期でくりかえされました。マルクスは『資本論』のなかで、「この産業循環は、ひとたび最初の衝撃が与えられたあとでは、同じ循環が周期的に再生産されざるをえないという事態になる」といっています。

 この産業循環は、マルクスの時代や戦前とはかなり異なった現れ方ではありますが、現代の世界経済のなかにもつらぬかれています。1973年のオイルショックを契機として、70年代中ごろから世界的な不況に見舞われましたが、その底にはやはり生産と消費との矛盾がありました。日本の大企業はこの時期、徹底した「減量経営」によって競争力を強化し、同時に、過剰となった生産物をアメリカをはじめとした各国への輸出にまわすことで不況を乗り切りました。これは「集中豪雨的」といわれるほどのすさまじいものでした。

 しかし、このことによって日米経済摩擦が激化し、日米貿易戦争といわれる事態が、今日まで絶えず問題になってきているのです。最近も、港湾荷役の問題での日米慣行の違いということが問題にされ、日本の船はもうアメリカの港に入れないという報復措置がなされようとしました。マスコミは、「サンフランシスコの港は、もう戦争前夜のような状態だ」と伝えました。現在では一応おさまったようですが、根本的な解決はできていません。

 このように、ことごとくアメリカと日本との間に経済摩擦が起きる発端は、70年代半ば以降の「集中豪雨的」輸出がアメリカにむけられた結果、アメリカ国内で多くの労働者が職を失ったということにあります。だから、アメリカの言い分にも一理はある。ケインズはさきの『一般理論』のなかで、国内政策による「完全雇用」の実現の優位性との比較で、外国市場にたいする販売の強行は「失業問題を競争に敗れた隣国に転化するにすぎない」とのべています。アメリカのやり方も問題ですが、日本にも相手を怒らせただけの問題はたしかにあるのです。

 世界と日本の経済のあり方は、その後も不況と好況の波をくりかえして今日にいたっています。その一見複雑な動向を、つねに恐慌の可能性を内包する生産と消費の矛盾の現れとして科学的に解明するうえでの基本的な視点が、『資本論』の第2部にはあります。

●『資本論』第3部

 つぎは、「資本主義的生産の総過程」をとりあつかった『資本論』第3部です。マルクスはこの第3部の目的について、「全体として見た資本の運動過程から出てくる具体的な諸形態を見出して叙述すること」、つまり、「資本のいろいろな姿」や、それらの間の相互作用をできるかぎりリアルに描くことだと述べています。

 マルクスは、この第3部で、産業資本によって生み出される剰余価値が、異なる部門間の資本家的競争によって、投下資本額に応じた均等な分け前としての「平均利潤」を形成すること、そのことをつうじて、それ自身としては剰余価値を生み出さない商業資本も「分け前」にあずかること、さらにそのことによって、利潤がどのようにもたらされるのかという利潤の起源が隠蔽(いんぺい)され、貨幣それ自身が利潤を生産する「資本」という商品として立ちあらわれるにいたるメカニズムを解明しています。

 そして、「利子生み資本」の形態で、資本関係はもっとも物神的な姿態に到達する、とマルクスはいいます。「利子生み資本」というのは、わかりやすくいえば、今日の金融産業、銀行、証券、生保などのことですが、マルクスが「もっとも物神的」というように、そのいかがわしさ、詐欺的・賭博的ふるまいは、このところ日々の新聞をにぎわせる「不祥事」によって、私たちも実感させられるところでしょう。

 ところで、生産と消費の間に商業資本や銀行資本が介在することは、生産と消費の対立をやわらげるクッションの役割をはたすように思われます。ところが、商業資本と銀行信用は消費の制限を超えて生産を駆り立て、生産と消費の矛盾をはげしくします。80年代後半のバブル経済が90年代のバブル不況を深刻なものとしたのは、その例です。水をせき止めるダムが、一見水害を防ぐように見えながら、かえって水害をひどくする存在であることと似ています。

 さらにマルクスは、地主、土地所有者が、いかにして剰余価値の一部(「超過利潤」)を「地代」として手にしうるかについて、また、労働の生産物ではない土地がなぜ価格をもつのかについても、この第3部で論じています。

 このようにマルクスは、私たちが日々体験する現実の経済現象をリアルに、かつ科学的に分析し、解明するための視点と分析装置を『資本論』全3部のなかでしめしており、それはいまも有効である、いや、いまこそマルクスに立ち返って学ばなければならない、というのが私のいいたいことです。

●マルクスの目で見ると

 日本経済は、またまた不況局面にはいっています。経済企画庁はずっと「回復基調にある」などといってきましたが、株価の下げが正直にしめしているように、実際はそうとうに深刻な状況です。

 まず、いままで「けん引車」の役割をはたしてきた自動車、コンピューターが売れていません。デパートの売り上げも連続6ヶ月の前年度比割れです。スーパーもダメで、堅調なのは、コンビニだけです。

 これはなぜかといえば、消費者の動きが変わってきていて、「買えるときに、とりあえず買っておこう」というパターンではなく、「ほんとうに必要なときに、必要なものだけを」というパターンになっているからです。それだけ、生活のスタイルが「防衛的」になってきている。

 円安がつづいていますから、輸出は好調ですが、輸出頼みもそろそろ限界にきています。

 いちばんの問題は国内消費の落ち込みで、国民の消費力、購買力が落ちてしまって、生産にたいして消費がうんと小さくなってしまっていることです。

 これには、さきほどの生産と消費の矛盾という、一般的な恐慌論上の要因ももちろんありますが、とくに現在の不況は政策不況、橋本内閣の政策的失敗によるところが大きいといわなければなりません。この春の消費税率引き上げ、特別減税の廃止による夏のボーナスの目減り、そして9月からの医療改悪による医療費の大幅アップなどで、国民の可処分所得が実質上、数万円から数十万円も落ちてしまったわけですから、国内消費が落ち込むのは当然です。

 だから景気回復の特効薬としては、消費税率を元へもどす、あるいは廃止する、医療費本人負担も元に戻す、特別減税をおこなう、などのことだと思います。しかし、橋本内閣は、「規制緩和」のいっそうの推進とか、国民負担を増大させる「財政構造改革」の断行とか、法人税の引き下げとかの、まったく見当はずれのことをやろうとしているのです。現在の不況は、企業に力がないからではなく、国民の消費力が落ち込んでいることが原因なのですから、的外れもいいところです。

●日本におけるマルクス主義

 不況になると、とかく世の中は暗くなります。犯罪も増えてきます。しかし、こういうときだからこそ、なんとか明るい見通しをもちたいと思います。私は、マルクスの目、『資本論』の目で社会を見ていけば、それまで見えなかったいろいろなことが見えてくると思います。

 日本の場合、戦前、戦後をつうじて、マルクスを読むということには、そうとうな意味がありました。たとえば、アメリカの場合は、ピューリタニズムの伝統が社会の規範のなかに生きていて、それが、社会的な不正や逸脱をチェックする役目をはたしてきました。証券や銀行の不正がきびしく問われるのも、「フェアな市場」はほんとうに「フェア」でなければならないと、彼らが信じているからです。

 ところが、日本にはそういう意味での宗教的なバックボーンはなく、その役割をマルクス主義がになってきたといっていいでしょう。マルクスを羅針盤とするか、社会の歪みを見る鏡とするか、弱者をいじめすぎると革命が起こるといういましめにするか、立場や程度の差はあっても、マルクスを読むこと、学ぶことにはそういう特別の意味がありました。

 東京大学は、その意味での一つの拠点でした。とくに経済学部には戦前から、山田盛太郎先生などのマルクス経済学の中心になるような方がたくさんいて、この大学で経済学を学ぶということは、マルクスを学ぶことだという状況がありました。私の世代(昭和二ケタ世代)のころからは、かなりその状況も変わってきて、マルクスを学ばないエリートたちが多くなりました。そういう経営者や官僚たちが、いま日本の政治や経済をめちゃくちゃにしているのではないでしょうか。それ以前の世代の人たちは、ほとんどみなマルクスを学びました。そして、そういう人たちのなかから、保守系の政治家や大企業の経営者、政策決定にかかわる高級官僚も輩出しました。

 昨年のことですが、日経連会長の根本二郎さんが、「市場経済はしょせん人間の欲望の交換から始まる。その交換が何の抑制もなく自由放任になると、えらいことになってしまう。市場経済の光と影をしっかり認識し、秩序も維持していかねば」(「毎日」96年5月27日付)とのべていて、私は興味深く受けとりました。やはり、この方はマルクスを知っている人です。

 日本資本主義が「成功」した理由の一つにはマルクスがあったとまでいってしまうと、これは言い過ぎになりますが、日本社会におけるマルクスの思想の貢献ということでは、「ほんとうに弱者を切り捨てていいのか」という警告として、マルクスは生きていました。政治や経済・産業の世界で「弱者切り捨て」が横行する現代だからこそ、あらためてマルクスを学び、その思想を生かしていかなければいけないと思います。

8、歴史を大きな視野(弁証法)で見ることの意義

 いま、たしかに世紀末といわれているような現象もあり、不透明さもありますが、そういうときだからこそ、歴史というものを、もう少し大きな目で見る必要があります。なぜか世紀末には、歴史上の大変動が起こって、100年前も200年前も、世の中ががらっと変わって別の時代になるという移行期でした。いま、そういう世紀末をむかえているわけです。

 社会のあり方もそうですが、理論・学問も、ゆきづまって解決困難な窮地におちいったときに、飛躍があります。学問の歴史を見れば、物理学などの自然科学も経済学もそうです。

 だから、私たちはこの世紀末をけっして悲観的に迎えることはない。歴史への悲観論、さきゆえの悲観論は、この間の100年、つまり20世紀を、要するに戦争の世紀だった、ファシズムが荒れ狂い、人間が戦争で殺された世紀だったと、否定的に見る見方から出てくるのだと私は思います。しかし、それはあまりにも一面的な見方でしょう。君主から人民に主権が移行し、国民主権が確立したこと、多くの民族が植民地支配から脱却し、独立したこと、すくなくとも後半の半世紀、私たちは世界戦争を許さなかったこと、これも20世紀の歴史です。

●ブルジョアジーの300年と労働者階級の300年

 歴史の歩みは長い目で見る必要があります。たとえば、資本主義が成立するためにも、たいへんに長い期間を要しています。エンゲルスの『空想から科学へ』に「英語版序文」がありますが、そのなかでエンゲルスは、ブルジョアジーの革命は3世紀をかけてようやく成功した、とのべています。ブルジョアジーの最初の蜂起は16世紀ドイツのプロテスタントの宗教改革で、これは敗北します。2回目は17世紀イギリスのピューリタン革命ですが、そのあとの名誉革命もふくめて、イギリスのブルジョアジーは支配を確立していきます。そして3番目が18世紀のフランス革命です。100年ごとに革命を起こして、そしてブルジョアジ−は最終的に勝利していくわけです。3度目の正直です。

 そのフランス革命のあとでも、反動期があり、またそれへの反撃があり、1848年ごろ、ほぼ19世紀のなかばになって、ブルジョアジーは政治的にも経済的にもその勝利を確立することができました。だから、300年という時間がかかっているのです。

 歴史への悲観論のなかには、「社会主義」の崩壊の「目撃」ということもあるでしょう。この問題では、ブルジョアジーの勝利も3世紀を要した、社会主義への移行というような、封建制から資本主義へのそれよりももっと大きな変動は、そう短い期間では成就しないであろうというのが、私の基本的な見方です。19世紀にパリ・コミューンがあり、20世紀にはロシア革命があった。3度目のたたかいは21世紀にもちこされたけれども、そこが正念場だと私は思います。歴史は、それくらいの長い目で見なければなりません。

●求められる学問の「大義」と生き方

 本日の結論になるかと思いますが、「現在」をしっかりと分析し、過去も未来も見通す歴史の目をしっかりと伸ばしていってほしいと思います。

 昨日の日本経済新聞に一橋大学学長の阿部謹也さんが「『生き方』問わない経済学」という文章を書かれています。そのなかで阿部さんは、社会科学全般が「大きな視野を失いつつあるように見える」、「近代経済学においては歴史は不要なのだという人もいなくはない」と苦情を呈しています。そして、たとえば国立大学の授業料値上げについて、「経済学者たちはほとんどが値上げ賛成論者であり、受益者負担の原則を肯定する人たちなのである」が、それは、経済学者が大きな視野を失い、「財政上の視点が優先されている」からだとのべています。阿部さんは、いまや政治にも経済にも「大義」はなく、経済学もまた「いかに生きるべきか」を問わず、学問の大義を失っていると、ひじょうに鋭い批判をしています。

 まさしく、経済学は生き方を問わなければいけないと、私も思います。

 生き方と社会的・経済的認識とを重ねて叙述した、すぐれた著書として吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)があります。これにならって、現在の私たちの生き方と経済的認識をむすびつける努力が必要だと思います。私は、近代的な個人の尊厳を基礎にしながら、人びとの協同・共生をどう打ち立てるかが、これからの生き方の基本だろうと思います。マルクスのいう「一人一人の自由な発展が万人の発展の基礎であるような協同体」(『共産党宣言』)、あるいは、「自由人の連合」(『資本論』)という課題です。また、近代科学の分析的方法を基礎にした弁証法的方法をどう打ち立てるかが、経済的認識論・方法論の基本だと考えます。そして、このような生き方と科学の方法論をむすびつけることが必要だと思います。

 また、経済学には大義があるべきです。それは「済民」、すなわち社会的弱者を救うことです。弱者を切り捨てて強者がまかりとおるいま、済民という大義はきわめて重要です。

 本日の私の話がきっかけとなって、阿部さんが批判するような経済学の現状の克服のために奮闘努力する経済学徒が数多く育ってくれることを願い、終わりとします。

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