◆経歴書

 小倉寛太郎(おぐらひろたろう)(通称=おぐらかんたろう)

(東アフリカ研究家、自然写真家、ケニア、ウガンダ両共和国名誉ウォーデン(野生生物保全管理官)、タンザニア連合共和国国立公園庁指名庁友)

生年:1930(昭和5)年

最終学歴:東京大学法学部(1953年)卒業。

職歴など:勤務先の日本航空(株)で1964年から10年間、カラチ、テヘラン、ナイロビと、海外勤務を転々(この間の事情は、山崎豊子氏著・『沈まぬ太陽』に詳しい)。1973年帰国後、本社でアフリカ関係担当を12年。この間約60回東アフリカを訪問。1985年、御巣鷹山事故のあと、再びナイロビ支店長として赴任。翌1986年、本社会長室部長。1987年、3度目のナイロビ支店長。ナイロビ在勤は3回、計8年余。1990年、アフリカ調査開発部長を最後に日本航空(株)を定年退職。

現在の活動:『フィールドガイド・アフリカ野生動物』(1994年、講談社ブルーバックス)、『東アフリカの鳥』(1998、文一総合出版)の著書のほか、『マイ アフリカ』(リブロポート社)、『果てしなき草原』(旺文社)、『サバンナの鷹』(メディアパル社)『サバンナの光』(メディアパル社)など共著・共編著多数。その他『朝日新聞』『読売新聞』『日本経済新聞』『週刊朝日』『アサヒグラフ』『アニマ』『アサヒカメラ』『ウータン』『日本カメラ』『子供の哲学』『THIS IS 読売』『バーダー』『趣味の園芸』などに写真作品・文章を発表。

研究テーマ:東アフリカの歴史、地域文化、動物相など多岐にわたっているが、特に同地域の鳥類撮影の種類別成果は日本一。現在の専らの研究テーマは「東アフリカの野生生物相の特徴と変遷、その保全活動の推移」「ヨーロッパ勢力の東アフリカ進出史」など。この関連所蔵文献は日本有数。

東アフリカ諸国との関係:1971年、日本人として最初で最後のケニア政府公認プロハンターの資格を取得。1992年にはケニア政府から外国でただ一人の「名誉ウォーデン(野生生物保全管理官=ナショナルパークの公園長に相当)」に任命された。また、その野生生物保全の努力と貢献が評価され、ケニアのシャバ国立保護区の正門、ナトービ・ゲートは1993年、オグラ・ナトービ・ゲートと改称されている。1994年にはウガンダ政府からも「名誉ウオォーデン」に任命され、翌1995年タンザニア政府から「国立公園庁指名庁友」に指名されている。

その他の活動:1976年、戸川幸夫、田中光常、羽仁進、渥美清、小原秀雄、増井光子、渡辺貞夫、岩合光昭の各氏らと「サバンナクラブb東アフリカ友の会」(戸川会長以下約600人)を結成、現在も常任副会長兼事務局長として東アフリカ諸国との友好促進、自然保全に取り組んでいる。

写真撮影学習:松田二三男氏に師事、田中光常氏、行田哲夫氏の両氏に兄事。

所属学会:日本アフリカ学会、日本哺乳類学会、日本ナイル・エチオピア学会、ヒトと動物の関係学会、など。

 なお、小倉寛太郎さんは、2002年10月9日、肺がんのため東京都中央区の病院で亡くなられました。71歳でした。ご冥福をお祈りします。

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