テーマ:「歴史の勉強は楽しい」

講師:浜林正夫(一橋大学名誉教授)

【復元版】 2004年5月7日(金)

 一橋大学名誉教授の浜林正夫先生がお話ししました。内容の要旨を復元します。みなさん、ぜひ読んでみて下さい(文責は民青駒場班にあります)。

●はじめに

 みなさん、こんにちは。

 今度、大月書店から『歴史の風景』という本を出します。自然科学こそ科学で、社会科学は科学ではないと言われてきましたが、自然科学の方が歴史に近づいてきているという話の本です。

 なぜかというと、自然科学は検証が可能だと言われますね。実験によって別の人が検証することで、それが真実だと確かめられる。しかし、自然科学でも、1回限りのことを追いかけることもあるんです。例えば、生物の進化とか。これは、同じ条件のもとでは必ず同じ進化が起こるとは限りません。まあ、それがメインの話になっている本ではないですが。

1、歴史という言葉には二通りの意味がある

●過去の出来事という意味 「東京大学には長い歴史がある」

 東大は100何十年の歴史がありますね。それだけ色々な事実があったということです。その場合の「歴史」というのは、過去の出来事そのものです。

 「人民が歴史をつくる」という言い方をするときも、これは1日1日の積み重ねですから、出来事の積み重ねということです。

●お話としての歴史(歴史記述) ヒストリーはストーリー

 歴史学は、これです。history の h は his の意味で、history=his story なんだと言われますが、実際は his なのか her なのかわかりません。

 history は英語ですが、ラテン語系ではヒストリ、フランス語ではイストワール、これは両方とも「物語」の意味です。ドイツ語ではゲシヒテ、これは「起こったこと」という意味です。つまり「歴史」という言葉には「物語」という意味と「起こったこと」という意味の2つの意味があるということです。

2、他人の歴史記述を暗記するのではなく自分でストーリーを作るのが歴史の勉強

●ウソを書いてはいけない

 私たちは、人が書いたストーリーを学ぶのではなくて、出来事そのものを学びます。その出来事については、自分で探していきます。

 そして、自分なりにストーリーを作っていくのが、歴史の勉強なんです。

 歴史家には2つのタイプがあると言われます。

 1つは、細かい事実を調べるのに情熱を傾けるタイプです。

 例えば、ナポレオンが島流しになって死にますが、そのときに毒殺されたという説があるんです。それが本当に毒殺だったのかどうかを延々細かく調べるんです。こういうことにはまる人がいるんですね。私に言わせれば、そんな細かいことはどうでもいいことじゃないかと思うんですけれど(笑)。マニアみたいに細かいことを追及する人がたくさんいて、それが重なってストーリーものになるわけですね。

 例えば、ナポレオンがエジプト遠征のときに発見したロゼッタストーンというのがありまして、これは読むのが大変です。かなり解読されていますが、いまだに読めない字があります。モヘンジョ=ダロから出た字は読めないようですね。そもそも字なのか、という話もありますけど(笑)。誰か、読んでみませんか?(笑)

 さっき、“歴史の勉強が図書館なりで昔の本を読んでわかることなんだったら、自分で歴史をやる意味はあるのでしょうか”という話をしていた1年生の方がいましたが、ロゼッタストーンなんかは、図書館の本にないことを調べるんですよ。

 もう1つは、細かいことにこだわらず、全体のストーリーを書くタイプです。僕なんかは、このタイプです。おかげで、僕の書いた本なんかは、ここが間違っている、とか言われることがよくあるんですけどね(笑)。

 本当は、この2つの能力が両方ないとダメなんです。しかし、実際は、どちらかに傾くと思います。

 目標は、自分なりのストーリーを作ることです。

 例えば、東京大学の歴史について言うと、東京大学の歴史について書いた本がどこかにあるはずですね。その本を書く際には、東京大学の100何十年かの出来事をセレクトして書いているはずです。どういう基準で過去の事実をセレクトしているかが大事なんです。

 私、昔、小樽商科大学というところで教員をしていたときに、小樽商科大学の50年史を書けと言われて書いたことがあります。その時には、材料のセレクトが大変でした。小樽商科大学の学長は、私が教職員組合をやっていたときに対立していた相手だったので、そういう相手と一緒に材料をセレクトしたもんですから、そういう意味でも大変でした(笑)。

 よくあるタイプは、そういう本を書くときに、事実の羅列に終始してしまうことです。これでは、読んでいてもちっとも面白くありません。大体、大学の歴史や社史なんかはそうなってしまいがちです。

 しかし、羅列をするにしても、一定の基準は必要です。

 ということで、ウソを書かない、あくまで事実に基づくというのは当然のことですね。

●論理的一貫性が必要(他人が読んでもわかるように)

 自分の思い込みで理屈をつけるのはダメです。他人に納得させる、そこが小説と違うところです。

3、そのために大切なこと

●まずテーマを決める

 これが難しいですね。なかなか決まらない人が多いです。僕は、50年教師をやっていますが、なかなか自分のテーマが決まらない人がいます。ゼミで卒論テーマを決めさせるときに、自分でこれをやると言えるのは2〜3割の人です。あとは、何をやっていいかわからないという人です。「先生が決めて下さい」という人もいます。そういう人に、僕がテーマを決めてあげると、何週間かたってから「面白くないからやめたいんです」と言ってきます。あるテーマが面白くないとわかったということは、それ自体は進歩です。自分にとって興味のある別のテーマを探すという道に踏み出せるわけですから。まあ、今の大学は昔と違ってせちがらいですから、ゆっくりテーマを考えている暇はあまりないのかもしれませんが。

 今、卒論がない学部もあるんですか。法学部は卒論がないの?ないとダメなんだ(笑)。

 卒論のテーマを決めるのは、できれば2年生の後半、遅くても3年生のはじめが望ましいです。東大は駒場と本郷がわかれているので、やりにくいですけどね。

●事実を確かめる(資料批判)

 次に、テーマに従って材料探しをします。いきなり生の材料にあたるのは、学生のうちは難しいでしょう。ほかの人の書いたストーリーを読むことになると思います。

 乱読するくらい、片っ端から読むことになります。できれば英語とかフランス語とかでも読めるといいですね。

 読むときには、書かれた本のうち古い順から順序立てて読むのが望ましいです。例えば、フランス革命について調べようと思ったら、フランス革命について書かれた本のうち、古い順に出版された本から読むわけです。日本でも、フランス革命についての本が戦前に出ていますから、そういうのから読んでいきます。なかなか難しいですけどね。

 僕は、イギリス革命について調べました。革命直後に、もう革命について書かれた本が出ているんです。そういう本から順々に読んで行くんです。大変なんで適当にカットしながら読むんですけどね。

 どうして、古い順に読んでいくのか。それは、後に書いた人は、前に書いた人のものを念頭に置いて書いているからです。前に書いた本について、それを批判したり、発展させたりして、後の人が書くわけですから、古い順に読んだほうが理解しやすいんです。

 難しい言葉で言えば、「フランス革命の研究史をたどる」ということです。その中に、事実を確かめることをやります。他人の書いたことをうのみにしないことです。間違いもあります。これも、難しい言葉で言えば、「資料批判」をするということです。

 本格的にやると大変です。資料を自分で集めるのも大変です。資料集で間に合わせるというのもとりあえずの手ではあります。フランス革命についても、『フランス革命資料集』みたいのが山川出版などから出ていますから。

●事実は無数にあるからそのなかから自分の書きたいことを選び出す

 セレクトが大変です。しかし、変な言い方ですが、これは何となくできるんです。これは大事だな、これはほったらかしてもいいな、というのが、おのずから出てきます。

 例えば、さっき、ナポレオンが毒殺されたという説があるという話をしました。これはヒ素中毒説なんですけれども、この時期にヒ素で人を殺せたのか、とか色々なことについて調べていくことで、真相にせまることができます。

●それをストーリーに構成する

 女の人がよく言いますが、男の人が歴史を書くと、女性の観点が見えなくなるといわれます。しっかり基準をもって記述するということです。

4、テーマをどのようにして決めるか

●大学の講義を利用する

 5月病って今ないんですか? 登校拒否のこと(笑)。大学がだんだんいい加減になっているからないのかな。

 まあ、せっかく大学に入ったんだから、先生の講義をヒントにするのがいいですね。うのみにする必要はありませんが。僕はよく言うんですが、先生の講義でどこか引っかかるところを見つけなさい、ということです。ここはおかしいとか、ここは論理がとんでいるとか。

 僕の経験では、女子学生のほうが成績がいいですね。一橋大学でも、各学部の一番は女子学生のことが多いです。ガリ勉型が多いです。成績はいいんですが、自分の問題意識がない人が多いと思います。自分のスト−りーが作れないタイプが多いです。

 男はずるいといえばずるいですね。適当にやって効率よくすます人が多いです。

●他人の歴史記述を読んでヒントを探す

 人の本を読むことです。これは、やりたいことが事前にある程度決まっていないと読めないです。

 例えば、西洋史とか。理系は、生物進化論でダーゥインの適者生存は当てはまらないようだとか、宇宙のビッグバンとか、何でもいいですが、好きずきで範囲を決めて読んでいきます。

 これは面白くないと思って、途中で変えることもよくあります。

●現在の問題に敏感になる、ただしこれを評論にしないで歴史として研究する

 今の世の中の問題に対して敏感でないといけない。歴史を研究する際、現実とどう関わるかとは別の話ですが、現実の問題に目を閉ざしているとヒントが見えてきません。

 例えば、今、イラク人に対するアメリカ軍の拷問が問題になっていますね。イスラエルとパレスチナをめぐる問題もあります。日本経済の問題でもいい。そういう現実の問題がいっぱいあります。

 私は、大学のゼミで、学生に新聞を読んでいますかと聞くんですが、読んでいない学生が多いです。自宅生ならまだしも、下宿生だとあまり読んでいません。今朝の1面トップは何でしたか?と聞くんです。まあ、新聞によって何をトップにもってくるかは違いますけれども。ただ、社会に関心を持つことは必要です。

 例えば、中国は今高度経済成長で、毎年10%もの成長率です。バブル経済なのではないかとも言われています。石油の値段もどんどん上がっています。中国は石油を自国でまかなっているのかと思ったら、輸入をしているようですね。石油資源がいつまでもつのか心配です。あと30年だと言われています。僕は30年後にはもういないからいいですが(笑)、みなさんはあと30年は生きるでしょう。

●いろいろな人と話し合う

 客観化する必要があります。そのためには、いろんな人と話をする必要があります。友達と話をするのが結局一番大事だと思います。やはり、大学生活で一番大事なのは、友達を持つことだと思います。そしてしゃべることです。東北の人はあまりしゃべらないとかいう話もあるようですが、どうなんですかね。あと、先生をうまく利用することです。そして、それらの中でヒントを探すことです。

 どこかに穴というか、焦点を見つけたら、卒論は半分できたようなものです。ゼミの学生のうち、半分はウロウロしています。締め切り直前にガチャガチャまとめると、結局大学生活で何をやったか何も残っていないということになってしまいます。自分で調べて自分でまとめる、そういうものが自信になっていくんです。何の役に立つか、すぐにぱっと役立つということはないでしょう。会社や役所に入ってもすぐには役立ちません。大学でやったことはすべて忘れろ、という企業すらあるようですから。ただ、どこかで役に立ちます。

 高卒と大卒の違いは、自分で調べて自分でまとめる力があるかないかだと思います。

 まあ、専門家になるなら別ですが、卒業したらフランス革命なんかどうでもいいもんね(笑)。

5、私の経験

●ヒントは敗戦とアメリカ文化によるカルチャーショック

 私は、軍隊に1ヶ月半行きました。終戦の時満20歳でした。1945年の7月1日に軍隊に入って8月15日に戦争が終わりました。軍隊に行っていて卒業が遅れた人もいましたが、私は卒業が遅れないで出られました。

 戦争に負けたこと自体はあまりショックではありませんでした。どうせ勝てないと思っていましたから。

 戦後、僕が見たアメリカ兵はデモクラチックでした。日本軍は兵隊に本も新聞も読ませませんでしたが、米軍は読ませていたんです。

 私の親父は英語の教師で、通訳にかり出されていました。米兵が『武器よさらば』を読んでいて、米軍は兵隊に反戦小説まで読ませているのか、とびっくりしました。日本軍は、走れ走れ、と戦争に駆りたてるばかりでしたから。

 『怒りのぶどう』という本がありまして、日本で言えば小林多喜二みたいなもんですが、それも米兵は読んでいて、読むことを禁止されていなかったんです。

●アメリカン・デモクラシーのもとを訪ねてイギリスのブルジョア革命へ

 私の卒論はアメリカ史でした。その後先輩から「アメリカの歴史は底が浅い。アメリカの歴史も、もともとはイギリスだから、イギリスをやれ」と言われて、私はイギリスをやり始めました。もっとも、今はこういうことを言う人はあまりいないでしょうが。

 そして、イギリスのブルジョア革命の研究を始めました。

●ヒル『イギリス革命』がスタート、革命のピークまでで終わっているけれども、そのあとはどうなったのかという問題意識

 ヒルの『イギリス革命』という本を見つけたんです。その人は、イギリスのマルクス主義者で共産党員なんです。おととしぐらいに亡くなりました。私が本を買ったときにはそういうことは知りませんでしたが。

 こういう言い方をするとよくないかもしれませんが、マルクス主義の立場の非常に公式的な歴史観なんです。ヒルは「若い頃に書いたものは恥ずかしい。教条的な内容だ」とあとで言っていました。

 史的唯物論は骨みたいなものです。フランス革命についてヒルが書いている内容は、ジャコバン独裁になって革命のピークになるところまでしか書いていません。そのあと革命が反動化したあとのことは書いていないので、そのあとどうなったんだろうという興味を持ちました。

 当時は、イギリスのことを研究している人はあまりいませんでしたが、そのあと文部省からも金が出るようになりました。

 当時はコピー機みたいな便利なものはなかったので、大変でした。大英図書館に注文を出して、飛行機は飛んでいないので船便で半年ぐらいするとかえって来るんです。今、私は当時の資料がたくさんあって持て余しているんですけど、捨てるのももったいないし、置いておくのも邪魔なので、だれかほしい人いますか?(笑)

 その後、資料集が出て便利になりました。

 僕らの時には、イギリスに行くのに船で1ヶ月かかりました。留学生も船で行ったんです。僕は留学試験に落第したんで、留学は行かなかったですけど。

 私は、ヒルを骨に自分なりに肉をつけてストーリーを書きました。60年安保の前の年、59年のことでした。私は48年卒なので、10年ぐらい経ってからですね。それなりに自分のストーリーをもてるようになりました。

●それをストーリーに構成する

 それが現代にとってどういう意味をもっているかを考えるのが、本当の目標です。

 イギリス民主主義論を私はいまだにやっていますが、自分なりのストーリーが作れていません。だんだん興味が変わっていって、僕らの時代は「近代化」です。今は、「イギリス帝国主義」研究です。東大の教養学部では木畑先生が中心ですね。

 今さらブルジョア革命といっても、骨董品扱いです。ブルジョア革命から資本主義にどうつながるかに興味があります。

 実は、今浮気して『小林多喜二』という本を書いているんです。今年の秋に出るので買って下さい(笑)。僕は小樽出身で、多喜二には縁があるんです。しかし、今こうやって脱線しているので、いつになったら「イギリス帝国主義」にたどり着くかわかりませんね。

 『経済』(新日本出版社)に今連載しています。来月にウェイクフィールド(『資本論』に出てきます)の話を書きます。オーストラリアを開拓するときに、イギリスからオーストラリアに囚人を島流し(大陸流し?)にしましたが、これをやめて正式な移民を送ろうとした人です。イギリスの連邦制を唱えた人です。

 では、このへんで終わりましょうか。

*********** Q&A ***********

先生は青春時代を戦争の中過ごしたということですが、僕は、戦争のことを、小学生の時『はだしのゲン』で読みました。先生は、あの戦争を間違った戦争だと思っていましたか。

 あの戦争を止めようということは思っていませんでした。負けいくさだとは思っていました。間違いだという批判精神はありませんでした。

自分のストーリーを作るということは、主観からは逃れられないということではないでしょうか。言い方は悪いですが、個人的満足に終わるのではないでしょうか。

 100人いれば100通りの歴史があるといいますが、共感してくれる人はいます。

 東大の大塚ひさおさんは支持されました。時代に影響を与える、今の時代が何を求めているか、時代の要求にこたえた主観という立場で大塚さんは書いたのです。

戦争の時代なら軍国主義的解釈が好まれたのではないでしょうか。今から見れば危険なことです。時代の要請にばかりこたえると危険なのではないですか。

 軍国主義の中では、主として東大のリベラルな先生方は少数派でした。少数派の中に影響を与えました。小数の意見が次第に多数になることで世の中が変わるんです。

 例えば、フランスで百科全書派は唯物論・無神論だということで危険視され弾圧されました。しかしその後のフランス革命につながっていくのです。宗教改革でも、ルターやカルバンは少数派でしたが、抑えきれなくなって広がっていきました。

●歴史家としては、結局自分の信念でやるしかないのでしょうか。

 基準や観点はやっぱりあります。民主主義・人権を基本にして時代を見ていきます。どんな主観でもいいというわけではありません。

 最近、「新しい歴史教科書をつくる会」が、民主主義・人権はダメだと、それより伝統が大事だと言っていますがね。

●私は、フランス革命に興味があります。歴史を勉強するときに現代との関係を考えないと趣味的になってしまいますよね。今、奨学金ももらっているので、将来、社会に役立ちたいんですが、どうすればいいでしょうか。

 世の中の役に立つということはどういうことでしょうか。いろんな役に立ち方があります。イラクの子供たちのためにボランティアに行くというのも役に立つでしょう。でも、みんながボランティアをするわけではありません。ボランティアを批判する「自己責任論」に反撃してボランティアの人たちを支援するのも、一つの役に立ち方です。

 もっと日本の社会全体のありようを考える。基準は何かと言えば、民主主義です。あと、一人ひとりが大事にされているかどうかです。

 フランス革命では人権宣言が出されましたが、調べていくと、この人権宣言も完全ではありませんでした。どこに問題があったのか。奴隷制を認めていたのです。白人以外に通用しない人権宣言ですね。あと、女性の権利も保障されていません。

 こういうものでなければいけないという自分なりの理念で作ります。こういう理念に従って行動することが大事です。

●歴史法則を研究するのもいいなと思います。それをやりたいなら歴史学でいいのでしょうか

 抽象的に法則があるのかないのかを考えても答えは出ません。いろんなものを読んでみるのがいいでしょう。

 歴史法則というと「史的唯物論」ですが、トインビーの『文明論』を読むと、結局哲学的議論で水掛け論です。事実で支えないと結論は出ません。「史的唯物論」自体は面白いですよ。

●アメリカ民主主義を研究したきっかけは何ですか。

 アメリカは、イギリス本国に抵抗して独立したのが民主主義の始まりです。独立宣言です。この独立宣言で抵抗権が表明されています。抜けているのは、アメリカインディアンの権利です。ジョージ3世の悪口が書いてあって、インディアンが悪者になっています。黒人とか、独立宣言から置いてきぼりになった人がいます。奴隷解放後も差別が残りました。

 アメリカは徴兵制をとっていません。なぜかというと、徴兵制は金持ちも貧乏人も平等に兵隊にいかなければならないからです。だから、兵隊に行く人は奨学金を出して募集します。すると、貧しい人が兵隊に行きますから、戦死者は黒人が圧倒的に多いです。

 最近アメリカは評判が悪いですが、アメリカのジャーナリズムは、米兵のイラク人に対する虐待の事実は報道しています。戦時中の日本にこれができたでしょうか。できませんでした。政府批判をやるのはアメリカンデモクラシーの良い面です。ブッシュはああなっているけれども、健全な面もあります。

●今日読んだ小説は、在日の男の子が主人公で、「日本は住みにくい」「国境なんて壊してやるよ」と言っていました。自分で環境を変えようと思ったら変えられるものでしょうか。

 一人では無理ですが、できます。目標やレベルによりますが。国境をなくすのはなかなか難しいですね(笑)。

 ここが問題だと訴えて広げていきます。パウエル国務長官やヨーロッパも「自己責任論」を批判しています。

 ボランティア精神も大事です。

 いろんなレベルがあります。僕みたいな年寄りは年金制度です。所沢の補欠選挙で、年金改悪をする自民党が勝ってしまいました。

●社会を変えるときに、歴史を学ぶことがどう役立つのでしょうか。

 EUのはじめはEECでした。フランスとドイツは戦争を何度もしましたが、もうやめようというのが始まりでした。アジアは残念ながらできていません。東アジア共同体ができると日本のあり方が変わります。問題は実は多いです。ドイツはヒトラーのユダヤ人虐殺が負い目になってイスラエル批判できません。ヨーロッパもへっぴり腰です。

 歴史は今の世の中に対するニュアンスがあります。韓国人に対する日本人の負い目が裏返しになって北朝鮮への反発が起こっています。

 歴史を勉強することで、そういうことを明らかにする責任があります。

 なぜ日本人は朝鮮への差別をぬぐいきれないのでしょうか。昔は「朝鮮」という言葉すら差別語でした。昔、「朝鮮」と言われて「私たちは朝鮮人です」と堂々と言ったことで差別が吹っ飛びました。
 小林多喜二は、北海道を「植民地」と言いました。野呂栄太郎も「私は植民地に生まれた」と言いました。鉄道の枕木一本一本に血がしみついていると言われたものです。そういうものを明らかにするのが歴史学の役割です。

●どうやって勉強していいかわかりません。入門講義でも自分の哲学をもって教えてくれていません。結局、この先生がやっていることに興味がないとどうすればいいかわかりません。興味があるのをやればいいとわかったのは『歴史学入門』を読んでからです。

 東大は駒場と本郷が分かれています。2年で分かれるシステムは良くありません。このシステムを補うとすれば、駒場と本郷のスタッフの交流ですね。一橋も前期・後期と分かれていましたが、スタッフは一緒です。あと、学生の中で縦の交流をやるのがいいです。私大は、各学部に一般教養の先生がいるんです。工学部に歴史を教える先生がいたりとかするわけです。東大は、教養学部が別になっているわけですけどね。

(参加者の感想より)

  • 歴史の授業と聞くだけで退屈というイメージを抱いてしまう私にとって、歴史の研究に極めて長い年月をかけている人がいるというのは本当に驚きだった。図書館で調べる歴史以上に深く学ぶには、どのような手段があるのか気にかかることである。(1年理1)
  • 卒論のない法学部進学予定者としては、卒論の方法論に興味を持てました。法学部も卒論あっていいのに…。「友だちと話をすることが大事」に共感。(2年文1)
  • 大学の講義に疑問を感じていたところだったので、「何か引っかかるところを見つけろ」という言葉は自分にとってすごく励ましになりました。資料の「穴」を見つける、という方法は今後の指針にもなると感じました。(1年文3)
  • 「本を濫読して穴を見つけることが始まり」という言葉が印象的だった。「授業をきっかけにする」という発想を大事にしようと思った。(1年文3)
  • 歴史はどういう学問なのか、ということについての理解が深まりました。また、大学で学ぶ際に具体的にどういう姿勢で取り組めばいいのかについて、貴重なヒントをいただきました。特に、今の自分に欠けているのは問題意識だと思います。問題意識を持つにも、自分なりのテーマを見つけるにも、知識や経験が必要なのに、本もろくに読まないで自分の頭の中だけで考えようとしている自分は未熟すぎると思います。とりあえず読書をしたいです。(1年文3)
  • ひじょうにおもしろかった。研究は古いものから順にたどっていくのが良いというアドバイスが貴重だった。今まではなんとなく「新しいものを優先に読む」ようにしていたので…。(4年文学部)
  • 民青に入ってからの他の講演の例に漏れず、経験に裏打ちされた重みのあるお話を聞くことが出来、自分の将来への参考になったかと思います。(1年理2)
  • 歴史学は人間の生き方だと思いました。個人的満足に終わるものではなく、民主主義や人権といった普遍的価値に基づいて考え、歴史を解釈し、正しいものを信じるのをもって、時代に影響を与えていくのが、歴史家の役割・あり方だと感じました。また、私はこれまで大学での勉強を直接的に社会生活のなかで役立てようと考えていたけれど、歴史の勉強をとおして得られる普遍的理念を基盤にして、現代の社会を分析し、改善していくということが大切なのだと思いました。(1年文3)
  • みなさんの個性を感じるとともに、自分には欠けている現代社会への鋭い視線も感じました。自分なりに問題意識を持って、できるところから始めてみようという気になりました。(1年文3)

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