民青同盟東大駒場班 2000年駒場祭講演会

知ってほしい、東京大気汚染訴訟 自動車排ガスが命を奪う

語り手:篠さん(東京大気汚染訴訟原告)

 東京の大気汚染は有名な話です。いたるところに道路があり、しかもその多くが渋滞している東京においては、自動車の排ガスが原因となってぜん息にかかる人や命を落とす人もいます。そういった被害を減らすため、自動車を作る企業や公害対策の責任のある国を相手取って裁判を起こしている人たちがいます。その原告の人たちのお話を聞きました。こういった人たちの運動の成果が実り、不十分とはいえ排ガス対策がとられるようになり、東京の空気は最悪の頃よりはきれいになってきました。(以下は、話を聞いた学生の感想をもとに再構成。文責は民青駒場班にあります。)

1、ぜん息の原因が排ガスだと知って

 今回の企画に参加された東京大気汚染訴訟の原告の一人、篠さんは、私たちと同じ大学生でした。彼は子供の頃にぜん息になり、以来意識を失いかけるほどの発作を幾度となく経験されてきたそうです。いつまでも治らないぜん息が実は自動車の排ガスが原因であったことを知り、この裁判の原告に加わったのです。死ぬほどのつらい体験を乗り越えて、公害を生み出した責任のおおもとを断罪し、これ以上の被害を食い止めていこうとしている彼の前向きな姿が印象的でした。

2、国・道路公団・自動車メーカーの責任

 国は、ディーゼル車を中心とする自動車の排ガスを野放しにして環境対策を怠ってきていながら、公害患者に対する医療費控除制度の廃止という仕打ちにより患者にさらなる追い打ちをかけています。道路公団は「道路をつくれば渋滞が減る」という、誤りが証明されている論理をふりかざして環境無視で道路を作り続けています。自動車メーカーは、規制の厳しい他の国で売るときは車に装備する排ガス清浄装置を、規制が甘いのをいいことに日本ではつけずに売っています。市民の生存権・幸福追求権を二の次にするこの三者の横暴が、都市における被害を深刻なものとしてきたということを学びました。

 ぜん息というと虚弱体質の人がかかるものだと思いこんでいましたが、今は誰でもかかりうるほど大気が汚染されてしまっているということも知りました。

3、大企業優先の政治のゆがみ

 三者の不法行為が被害を生みだしたわけですが、国民の声よりも大企業の声を優先するという現在の日本の政治の体質が根本にあるのでしょう。企業のディーゼルトラックが有毒排ガスの多くを占めているのに、政府は規制するどころか軽油の税金を低く抑えることでディーゼルトラックの増加に貢献しています。また道路をやたらとつくるのも、公共事業をやることで大手ゼネコンをうるおすという意図が働いているのは明確です。こういった国民軽視の政治を国民本位のものへと変えていくことの必要性を改めて感じました。

4、住民の運動が政治を変えつつある

 先日、名古屋の大気汚染訴訟で地裁が原告の訴えを広く認める判決を下しました。尼崎や川崎でも原告の勝訴判決が出ています。野放しにされている公害のひどさを明らかにする原告ら住民の運動により、裁判所も認めざるを得なくなっています。住民の運動が草の根から政治を変えつつあるのです。

 大気汚染を食い止めることは、自分たちの生きる権利を守るためですが、同時に自分たちの子孫に対する責任でもあります。一人ひとりの力は小さいですが、連帯することで現状を変えていくことは可能なのです。自分も何らかの形で連帯の輪の一員になりたいと思います。

「社会への発言は人としての責任。」(参加者の感想より)

  • ぜん息で各地を転々として療養しながら生活している人の話に胸が痛んだ。大気汚染が始まった頃には、「ぜん息は体の弱い人の病気」といわれて、自分の体を鍛えなくちゃと考えた、という話に驚いた。そういうふうに個人に責任を転嫁する時代から、問題はもっと社会の根本に根ざしていることがわかって、運動が始まるまでの過程に感動した。
    社会に対して何か言っていくことは、わがままとかでは決してなく、社会に生きる者としての責任なのだと思った。

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