テーマ:「日米関係の今と今後」(4〜5月の班での学習での疑問に答える)

講師:松竹伸幸(日本共産党政策委員会)

【復元版】 2003年5月8日(木)班会

 日本共産党の政策委員会の人で、外交・安保問題の第一人者、松竹伸幸さんに来てもらい、いろいろ質問に答えてもらいました。Q&A形式でかなりおもしろい内容だったので、内容の大要を復元します。聞けなかった人、ぜひ読んでみてください!

●はじめに

 こんにちは。

 こうやってみなさんと話すのは、私にとっても実は大事なことなんです。

 今度5/18に『反戦の世界史』という、18世紀くらいからの反戦運動と国際法の枠組みの発展を歴史的に見た本を出すんですが、実は、この本を書くのに、東大駒場で以前にみなさんに学習会の講師に呼ばれたことが役に立っているんです。3年前、ここにいる上級生(当時1年生)が質問してくれたことにちゃんと答えられなかったなーということがきっかけになって、3年間勉強して書いたのが今度の本です。

 だから、今日もぜひ、どんどん質問を出してください。

●日米関係を考える重要性

 今日は「日米関係」がテーマですが、アメリカと日本というのは、経済力が世界で1、2の大きさの国なので、日米関係というのは、世界にもとても大きな影響を与える関係であり、大事な問題です。

 しかし、日本とアメリカの関係は、他のヨーロッパの国々とアメリカとの関係と比べても特殊なものです。まず、その特殊さ、異常さについて、いくつか例をあげて考えてみたいと思います。

●アメリカの戦争に一度も反対したことがない

 一つ目は、アメリカの戦争への態度です。これは、今回のイラク戦争でもみなさんはっきり感じた問題だと思います。アメリカは建国以来、他国と200回の戦争をしてきた国だそうです。第二次世界大戦後も何十回となくやってきましたが、実は、日本政府は戦後、一度もアメリカの戦争に反対したことがないんです。共産党の志位さんが「一度でも反対したことがありますか?」と聞いて、当時の首相の橋本さんが、「一度もない」と言っているんです。

 しかし、他の国はそんなことはありません。ヨーロッパの国々を見ても、さすがに昨年のアフガンでの「対テロ」戦争の時には賛成しましたが、いつもそうではないんです。今回のイラク戦争にも、フランス、ドイツ、ベルギーなどが堂々と反対しました。

 歴史的に見ても、例えば、1983年にアメリカがグレナダという国に侵攻したことがあったが、この時は、サッチャー政権のイギリスも含めて、ヨーロッパの国はこぞって反対した。この時には、先進国(サミット参加国)で日本の中曽根首相だけが唯一、「アメリカの行動を理解する」と表明したんです。

 このように、外交姿勢を見ても、日本政府がゆがんでいることはよくわかります。

●米軍の犯罪を裁判にもかけていない

 二つ目は、駐留している米軍の犯罪の裁判をどうするか、という問題です。日本では1995年に沖縄で米兵による少女暴行事件があって大きな問題になりましたが、米軍の犯罪は世界でもたびたび問題になってきたことです。

 米軍の犯罪についてはNATOでも日本でも、同じような区分けがあります。これは、日米安保条約に基づいて決められている日米地位協定で決められているんですが、「米軍の公務中に起こったことはアメリカ政府が裁き、公務外におこったことは日本政府が裁く」という原則になっています。

 ヨーロッパでも同じ原則です。4年前にイタリアで、ロープウェイに米軍機がつっこんで、ゴンドラが落ちて20人くらいが死亡する事故がありました。これは、公務中の事故ですから、事故を起こした米兵はアメリカに引き渡されて、軍事法廷で裁かれ、1人が有罪、1人が無罪になりました。このことは、みなさん、当たり前のことだと思うでしょう?

 しかし、日本の場合は違うんです。

 日本ではこれまでに、米軍の公務中の事故は48000件以上あります。例えば、1977年に横浜の住宅地に米軍のファントムジェット機が墜落して、市民11人が死ぬという悲惨な事故がありました。

 こうした公務中の事故がどのように処理されたかを調べてみたところ、米兵は事故後すぐ本国に帰っていて、わからない。そこで、共産党が国会で質問して、外務省がアメリカに問い合わせたところ、戦後の48000件の事故で、1人も裁判にかけていなかったのです。横浜の事故もそうだし、その後も、一度も、です。

●在日米軍は「日本を守るため」ではない

 三つ目に、駐留米軍の性格も、他国とまったく違います。在日米軍の半分くらいは海兵隊ですが、海兵隊というのは他国を攻める部隊で、アメリカ本国以外で置かれているのは日本だけです。これは、アジアから西太平洋までの区域にアメリカ軍が展開するために、日本におかれているのです。ヨーロッパにも米軍基地はありますが、どの国でも、「その国を守るためにおいている」のであって、「他国に展開するため」という国はありません。

 以上、日米同盟の特殊性を見てきました。私たちは、生まれた時からこういう軍隊が日本にあって、これが普通の感覚になっていますが、同じ軍隊を置くにしても、他の国とはぜんぜん違うのです。米軍の横暴が際立っています。

●日米関係のルーツ(1) 日本の米軍は占領の延長上に置かれたもの

 では、なぜそういう関係に日本はなっているのでしょうか?

これにはいろんな歴史的な経過がありますが、日本とヨーロッパでは、軍事同盟を結ぶ経緯がぜんぜん違うのです。

 ヨーロッパの場合、第二次世界大戦後、ソ連の侵略が心配だった。そこで、アメリカと一緒にこれに立ち向かおう、という考えで、戦後数年でNATOがつくられ、米軍がヨーロッパの国々に駐留することになった。

 日本の場合、もともと、アメリカが占領し、国を上から改造する、というところから出発しています。簡単に言ってしまえば、日本のような敗戦国への軍隊の駐留と、ヨーロッパのような自分から同盟を結んでの駐留では、ぜんぜん違う、ということです。

●日米関係のルーツ(2) 日本の政治は侵略戦争をやった勢力のままだった

 また、日本国内の政治を見ても、ヨーロッパとは違います。日本では、侵略戦争を行った張本人が、戦後政治において引き続き大きな位置を占めたのです。

 例えば、旧安保条約を締結した時の首相の吉田茂は、日本が山東出兵(1927〜28年、日本の軍隊を中国の山東省に送りこんで内政干渉を図ったこと)を行った時の外務次官で、満州国建国を主張していた人です。また、新安保条約を結んだ時の岸信介という人は、まさに侵略の張本人で、戦後、A級戦犯(侵略戦争に最も重い責任を負った犯罪人)とされていた人でした。

 そういう勢力だから、自分の侵略の罪を免れて政治の世界に生き残るためには、アメリカの言うとおりにするしかない。アメリカに従うことで政界に堂々と居座り続けることができたのです。

 ヨーロッパでは、こんなことはありませんでした。西ドイツの最初の首相のアデナウアーという人は、戦前にケルン市長だったが、ヒトラーを批判して亡命を余儀なくされた人でした。70年代のブラントという首相も、戦前、ヒトラーのファシズムと戦っていた人でした。侵略戦争とたたかってきた人たちが、戦後の政治を担ったのです。

 そういう人たちは、侵略戦争とたたかってきたということが政治的な信頼になっているから、何か失敗して一度地位を失っても、政治生命が絶たれることはない。しかし、吉田茂や岸信介は、アメリカに歯向かったらすぐさま自分の地位を失うんです。

●日米関係を転換する展望は……?

 日本の政治は、アメリカとのそういう関係のまま、ずっと続いてきたのです。私たちの党は、このゆがみを正して、日米安保をなくして、日米友好条約に転換する展望を持っています。これは、簡単なことではありませんが、決して、固定的で動かせないことでもないと思います。

 国民世論を見てもそうです。1995年に沖縄で少女暴行事件があって米軍基地が問題になったときには、日米安保について賛成/反対は、半々でした。ベトナム戦争の時には、日本はアメリカの出撃基地になり、「自分たちの国が侵略に使われている」という状態が10数年間も続く中で、70年代の終わりには、日米安保反対派の方が多くなりました。当時、日本世論調査会が世論調査で「アメリカは好きですか」という質問をしていたんですが、「好き」という人は18%にまで下がりました。「これ以上いったら米軍基地を置いておけなくなる」というくらいの世論があったのです。

 安保条約についての世論は、いろんな国民的な体験によって変わる、ということです。自衛隊については、世論調査で常に7,8割が支持していて不動ですが、安保条約の世論は固定的ではなく、事件などで国民の実感がゆさぶられると変化するのです。

●めざすものは、アメリカの本来の理念と同じ

 最後に、私たちの党は、戦後、日本がアメリカに何も言えずにきたことについては批判的ですが、アメリカの建国以来の理念については、私たちの掲げている理念と重なるところが大きいと、考えています。

 共産党は科学的社会主義の見地をベースにもっていて、マルクスやレーニンに多く学んでいますが、例えば、マルクスという人は、しばしばニューヨーク・トリビューンという新聞に原稿を寄せていました。この新聞は共和党の新聞です。なぜ共和党の新聞に何度もマルクスが寄稿していたのか。当時、共和党のリンカーンが奴隷制を解放した時で、マルクスは、この奴隷解放の重要性を何度も書いたのです。南北戦争が終わり、リンカーンが2期目の大統領になったとき、マルクスは祝電を送ってその意義をたたえています。リンカーンもこれにお礼の返事をしています。

 レーニンもアメリカと同じ理念を共有しています。第一次世界大戦――これは植民地の奪い合いの戦争でした――の終わり頃にロシア革命が起こり、政権についたレーニンは、植民地獲得の戦争はやめるべきであり、勝っても領土を手放すべきだ、といいました。アメリカの大統領のウィルソンも、「無併合・無賠償」の「勝利なき戦争を」と、同じことを主張しました。レーニンは実際に、帝政ロシア時代に獲得した領土を手放しますが、ウィルソンはこれに対し、「世界に貴重な原則を示した」というメッセージをロシア議会に送りました。レーニンはこれに感謝のメッセージを返しています。

 アメリカの民主主義の理想と、科学的社会主義の理想は、共通点をもっているのです。

 戦後、アメリカは民主主義を踏みにじることを世界でやってきましたが、もともと、日米安保条約をなくす主張は、アメリカの民主主義の理念と矛盾するものではないのです。それに依拠して、安保条約をなくすことを、世界の流れの中で、アメリカも認めざるをえない、というふうにしていきたいですね。

*********** Q&A ***********

● 「日米友好条約」ってどういうものなんですか?

⇒もともと二国間には基本的な友好条約というのがあって国交が行われるものであり、特別なものではありません。軍事的協力を廃止して、対等平等の関係をきずく、という内容以上のことは考えていません。「安保条約をなくす」とだけ言うと、日米の関係が全部途切れてしまうということなのか、と心配する人がいるので、こういうことを言っているのです。

● 日本が日米安保条約を廃止したいと思っても、アメリカはそれを阻もうとすると思う。それで何か不利益や危険があることはないでしょうか?

⇒それは難しい問題ですが、歴史を見れば、アメリカとの条約をなくした国もあります。例えばフィリピンです。

 フィリピンは第二次世界大戦中、日本が占領していて、戦後アメリカの従属下に独立した国で、条約を結んでアメリカに基地を貸与してきた国です。大きな空軍基地があって、2万人の米兵が駐留していました。しかし、1980年代の終わり、議会で米軍基地の撤退を求める通告を採択します。その後、両国の間では大変きびしい交渉が行われ、アメリカが圧力をかけて動揺する議員が出たりもします。しかし、議会で最終的に「やはり出ていってくれ」という意見が多数になり、米軍は撤退しました。アメリカがどんな工作をやったかという全貌は明らかではありませんが、議会の多数という形でその国の国民の意思がはっきりと示されているときには、「民主主義を尊重する」という建前である以上、アメリカも認めざるをえないということです。こういう場合に干渉することには、アメリカ国内の世論が許さないからです。

 日本でも、一直線にはすすまないでしょうが、国民の圧倒的多数がその方針を支えている、という風になれば、すすんでいけると思います。

● 今の自民党の人たちは侵略戦争の責任者ではないのに、なぜアメリカに頭が上がらないのでしょうか?

⇒こういう話があります。おそらく東大卒の人だと思いますが、外務省に入って、アメリカ大使館との連絡担当になった人が、外務省の先輩に「今の日米関係はおかしいのではないか。なぜこんな関係なのか?」と質問したところ、「安保条約があるから」と先輩は答えた。「じゃあ、なぜ安保条約を結んでいるんですか?」と聞くと、「そんなこと疑問を持つな」と言われたそうです。説明がつかないけれどそうなっている、ということこそ、「従属関係」の実際なのではないでしょうか。

 1960年代までにつくられた今の体制が、「この体制に疑問を持つな」という従属関係として、増幅してきている、と言えます。先ほど、日本はアメリカの武力行使に一度も反対したことがない、と言いましたが、アメリカの言うことに無理やりしばりつけられた時代のアメリカ支持の論理から抜け出せなくなっているのです。戦後最大の戦争であったベトナム戦争の時も、フランスなど多くの国が反対しました。しかし、日本は、「共産主義を広げないためには戦争も必要なんだ」とアメリカのオウム返しの説明をしたわけです。しかし、オウム返しでも、いったん自分の口で言ってしまうと、組み立てた論理に従わざるをえなくなってしまうのです。そうやって、アメリカ従属が増幅してきたのだと思います。

 もう一つ、自民党に根強い考え方があります。3月20日にイラク戦争が始まったとき、小泉首相は会見で「アメリカは日本を守るといってくれる唯一の国だから」と支持の理由を説明しました。この考え方は自民党に根強いです。

 しかし実際には、日米安保条約には、「アメリカが日本を守る」とだけ書いてあるわけではありません。安保条約には「いずれか一方の国に攻撃があったときには…」とあります。「日本が攻撃される」ということは、現実的にありえない事態なのに、しばしば実際にある「アメリカの戦争」という事態のたびにアメリカを支持しないと、いざというときに守れないのではないか、という、リアリズムを欠いた議論を、自民党の人たちはしているのです。実際に日本を侵略する国があるのか、ということを考えていないんです。

● 「日本を守るためにはアメリカを支持しなきゃいけない」という日本政府の論理は、アメリカと一緒で、「自国さえよければいい」という発想だ、ということでしょうか。

⇒いや、これは「自国のため」とも言えないでしょう。

 ヨーロッパの国を見てみれば、アフガニスタンへの戦争の時には各国こぞって賛成しました。同盟国であるアメリカが攻撃されたとき、それに反撃する戦争をやることに同盟国として賛成する、という考え方は、もちろん賛成はしませんが、そういう心情が生まれることは理解できます。しかし、そのヨーロッパの国々も、イラク戦争には反対した。さすがに、あるかどうかもわからない「大量破壊兵器」や、「テロとの結びつき」のために、イラクを攻撃するというのはおかしい、というのは普通の感覚です。

 日本だって、今回は自分の頭で考えることができたはずなんです。アメリカが武力攻撃を受けたときの「支持」とは話が違うのです。相手(アメリカ)のことを考えても普通だったら反対する性格の問題だったのが、今回のイラク戦争だったのです。

 更に、今回のイラク戦争の場合、アメリカが先制攻撃という戦略の始まりとして位置づけている以上、これに支持することは、先制攻撃支持のはじまりになってしまう重大な選択だったのです。今回の「先制攻撃」の論理は、日本が安保条約の根拠にしている「敵に対する抑止力」という考え方とは違ったはずだったのに、支持してしまった。そのことで、日米安保条約も「抑止力」の軍事同盟から「先制攻撃」の軍事同盟に転換してしまうという重大さが、実はあったのです。

● じゃあ、安保条約を結んではいても、自分の頭で考えて、できることもある、ということですね?

⇒そうです。アメリカと軍事同盟を結んでいながら独自の外交をやっている国があります。例えば、ニュージーランドは、ANZUS条約(オーストラリア,ニュージーランド,アメリカ間の軍事同盟)を結んでいますが、一方で、1980年代に周辺国と「南太平洋非核地帯条約」を結んで、アメリカにも認めさせて、この地域での核の製造や保有や持ち込みを禁止しています。ニュージーランドは、「非核地帯にするが、軍事同盟をなくすつもりはない。」という選択をしているのです。アメリカは「それなら守ってやらない」と言って、軍事同盟が実際には機能しない状態で20年も過ぎています。しかし、ニュージーランドはだからと言って「非核」を止めようとはしない。そういう国もあります。

● 日米安保条約を結んでいることに、メリットはないんですか?

⇒うーん、メリットというのは、難しいですね。「アメリカにはメリットがある、日本にもメリットがある」ということで条約を結んでいる、という側面は、無くはないんですが、そうじゃない側面が強いのです。私たちは日米関係を「従属関係」と言いますが、「従属関係」というのは、本質的にメリットがなくても結んでいる、ということなんです。

 「従属関係」の具体的な例をあげます。第一次世界大戦後、エジプトとイギリスの間に、条約が結ばれます。エジプトはそれまでイギリスの植民地でしたが、名目上は独立を認めて、結ばれた条約です。内容は主権を侵害したもので、・イギリスの軍隊をスエズ運河など各地に駐留させる、・外交政策はイギリスと相談して決める、・イギリスの軍隊の治外法権を認める、というものです。しかしこれは、イギリスが植民地支配の形が取れなくなったから結んだ条約であって、この条約もちゃんと守られないような支配が続くのです。

 なぜこの例を出したかというと、これが実は、戦後の日米関係と関係あるんです。

 たしか去年の8/5付けの朝日新聞に、マッカーサーと天皇の話し合いの通訳をした人の日記が公開された、という記事がありました。この日記によると、マッカーサーは、「日本の米軍の駐留は、第一次世界大戦後にイギリスがエジプトに行ったようなものになる」と言っているのです。メリット・デメリットというより、こうして押しつけられた、という側面が大きいのです。もちろん、その押しつけられた構図の枠内でのメリットは、財界などは追及していますが、メリット・デメリットというだけでは、そういう人たちにとっても説明がつかない状況があります。

 例えば、戦後の中国(中華人民共和国)との関係です。中国は、戦前からずっと、日本と一番経済的関係が強かった国です。お隣の国だし、自国のメリットからすれば明らかに、中国と国交を持ちたいのだが、アメリカが中国と国交を持たなかったので、日本も持てなかった。安保条約を結ぶ過程で、アメリカのダレスという外交家と吉田茂首相の交渉で、「独立したいなら中国と関係を持たないと誓約しろ」と言われます。そして、吉田茂が手紙で誓約したので、アメリカはサンフランシスコ条約を批准して日本の独立を認めることにしたのです。だから、日本は、アメリカが中国と国交回復する見通しになるまで、中国と国交を回復しなかったのです。

 このように、メリット・デメリットと言っても、アメリカの軍事戦略の枠内なのです。

● では、「枠内でのメリット」というのはどんなものですか。

⇒国民全体へのメリット、とは言えませんが、財界や政府のメリットなら、例えば、日本が国連の安全保障理事会の常任理事国になりたがっているのを、アメリカが支持している、というようなことです。ただ、これだって、国民全体にとってのメリットかと言えば、常任理事国になれば、軍事参謀委員会というところに入って軍事行動に参加することが義務づけられるので、憲法が破られることになり、メリットとは言えません。

● 司法の場で、在日米軍の存在が憲法に矛盾することを明らかにするような判決を出すことはできないのでしょうか?

⇒これは、そうあるべきなのですが、現状では、難しいです。「高度に政治的な問題は裁判所では判断しない」という「統治行為論」というのを主張して、日本の裁判所が、判断を下そうとしないからです。

 しかし、この現状も、固定的なものではありませんから、変えていく働きかけは大事です。

 岩波新書に『靖国の戦後史』といういい本がありますが、これを読むと、そういうたたかいの意義がわかります。政教分離の問題について、何度も裁判で主張が否定されながら、その中で、大きな前向きな変化が生まれているのです。

 米軍の存在という問題は、自民党政治の存立に関わる問題なので、もっと困難だとは思いますが…。でも、今も、イラク派兵の問題などいろいろ、市民と弁護士での訴訟が取り組まれています。こういうのは意義のある取り組みだと思います。

● 最初に話された、米軍の犯罪の裁判の問題などは、運動の中で変えることはできないでしょうか?

⇒実際に変わってきました。昔は、公務外の犯罪についても3%しか裁かれていませんでした(日米地位協定に、「特例」として、「特に重大でないない犯罪については、日本は裁判権を放棄する」とあるからです)。そして、実際には、米兵は身柄を拘束できないので、取調べが十分にできないままに、任務変更で本国に帰ってしまう、というようなことが、多かったのです。しかし、世論の発展で、こういうことはなかなかできなくなってきています。

● 米ソ対立が終わった90年代、世界的には、従来の軍事同盟型の安全保障が問い直されたと思うのですが、日本の政治においては、共産党以外は安保条約支持でした。なぜ、日本は転換しなかったのですか?

⇒米ソ対立後、日本の保守の政治においても、日米安保の位置づけは考え直されています。細川内閣の外交青書は、基本方針が「(1)アジアの集団的な安全保障を大事にしよう(2)日米安保の枠組みを大事にしよう」という風になっていて、日米安保よりもアジア外交が先に来た。これは、アメリカにとっては衝撃だった。

 さらに、95年に、安保条約についての日本の世論が変化したことも、衝撃だった。前に述べたように、安保条約についての日本の世論は、固定的じゃないのです。

 この頃、日本政府にも「別の道を」という考え方もありました。

 そこで、アメリカは、国務次官を日本に送って、安保条約を、「アジアの不安定から守る意義がある」と位置づけ直す議論をし、そういう世論づくりを始めたのです。

 今、こうやって、動揺している世論を押さえつけているのですが、やはり、ソ連の脅威と北朝鮮の脅威ではぜんぜん違うというのは明らかです。ソ連の場合、米ソが戦争をしたら日本に攻めてくる、というのはありえたし、そういう能力もありましたが、北朝鮮が日本に攻めてくる軍事力や占領能力を持っている、と考える人はいないでしょう。せいぜいミサイルを打ってくるだけです。そういう意味では、今の「北朝鮮脅威論」は克服しやすいのではないでしょうか。

 それに、アメリカが狙い通り、日本からアジアの国に出撃するようなことになったら、日本の世論がそれを許すとはとうてい思えません。もちろん、そうなる前に世論を広げなければならないのですが。

● 最後に

 だいたいみなさんの質問に答えました。あと、事前に言われた質問の中で答えていないのは、「反戦運動に意味はあるのか」というのだけですが、これは私の今度の本をぜひ読んでください。

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