テーマ:「日本の地方自治の発展と展望をどのようにみればよいか」

講師:今田吉昭(日本共産党自治体局)

【復元版】 2003年7月3日(木)班会

 日本共産党自治体局の今田吉昭さんに来ていただき、お話をしていただきました。内容の大要を復元します。聞けなかった人も、聞いた人も、ぜひ読んでみて下さい!

●はじめに

 こんにちは。日本共産党自治体局の今田吉昭と申します。私もこの駒場で、1976年に入学して学生時代に民青同盟で活動していました。当時、キャンパス内にあった駒場寮にも住んでいました。今日は久しぶりにここに来させていただいて、寮がなくなったのはさみしい点ですが、昔と変わらない場所も多く、なつかしく感じています。

 さて、地方政治は、なかなかなじみの薄い分野だと思います。ですので、事前にお知らせいただいた、聞きたいという点にお答えする形で、最初30分ぐらいお話ししたいと思います。

1、日本の地方自治のしくみは諸外国とくらべてどうか

●発展の歴史にちがい。戦後民主主義のなかで確立した制度だが、劣る点だけでなく優れた点も

 地方自治といえば、欧米の方が優れた内容をもっていると思われている方が多いと思います。確かに、歴史の古さなど、そのとおりです。でも日本の方が劣っているだけかというと、そうでもありません。両者の特徴をその成り立ちからくらべてみましょう。

 外国(主にヨーロッパ)では、支配勢力だった封建諸侯は農村に住み、商人などの新興勢力が都市をつくり自治を発展させていきました。そして、都市は城壁で囲んで支配勢力の攻撃からみずからを守りました。いわゆるコミューンと言わる都市国家です。それが自治の原点です。

 日本では、封建領主が中心で、真ん中に城があって、その周りに都市がつくられ、“隣り組”などが形成されました。城壁の作り方の違いが、日本と外国の違いのイメージですね(注)。日本では、支配する人が上から周辺の行政組織をつくっていったのです。

 それぞれ現代までを大きくみわたすと、外国では中央政府の発展の過程で、その地方自治に中央政府の下請け的要素がもちこまれ、日本では逆に戦後の民主主義のなかで下請け組織というだけでなく、自治を担う場として発展してきたということができます。

 ですから成り立ちがまったく違うので、一概に比較はできないのです。

 外国では、都市がそれぞれ独立した都市国家として出発しましたから、自治体ごとに行政内容の特色や差が大きかったりします。

 日本では、戦後、日本国憲法で地方自治が確立されました。遅れていた福祉・教育の内容がどこに住んでいても最低限のサービスが保障されるようにと、急速に整備されました。たとえば、どんな貧しい村でも義務教育が受けられるというように、これをナショナル・ミニマムといいますが、これを財源的に保障するためにできたのが、いま話題になっている地方交付税です。

 【資料】の年表を見て下さい。1950年に地方交付税の前身の制度ができます。地方交付税は、自治体間の財政のアンバランスを調整する財源調整制度の役割があるだけではなく、国民のサービスを財政的に保障する財源保障制度としての役割も持っています。外国では、自治体間の財政アンバランスの調整制度はありますが、総額の保障はありません。日本は財政的に保障されてこそ地方の独立性もその上に発揮されるという考え方にたっており、つまりお金があってはじめて独自のこともいろいろできるわけですから、これは外国に比べ優れた点です。

 この優れた財源保障の制度をくずし、国から地方への財政支出を減らしたいというのが、いまの政府のねらいですが、これはあとでふれます。

(注)宮本憲一著『地方自治の歴史』自治体研究者刊などが参考になります。

2、70年代の革新自治体の広がりは日本の政治にどんな役割をはたしたか

●国政革新の展望をひろげ、住民施策の前進を全国自治体と国に波及させる

 次に、戦後に地方自治の仕組みができてからの、時代的な流れを見てみましょう。

基本的な仕組みはできたものの、戦後復興の中ですから行政サービスの整備が立ち遅れていたなかで、1960年の池田内閣の時から高度経済成長が始まります。日本経済は急成長をとげます。農村から都市に多数の人たちが集団就職や出稼ぎででてきて、公害問題、都市問題、通勤・通学問題、福祉・教育など追いつかない対策に、行政への不満がどんどん大きくなっていきました。それが背景になって、自治体首長や県知事を取り替えようという革新的な流れが広がりました。

 60年代後半から70年代には太平洋ベルト地帯に革新自治体がずらっと並びました。都道府県では、東京・神奈川・京都・大阪・福岡・沖縄、政令指定都市では、横浜・川崎・名古屋・神戸などなど218の自治体が革新自治体でした。そこには日本の人口の42.9%、四千数百万人も住んでいたのです。

 革新自治体の広がりは2つの意味をもちました。1つは、そこでの共闘のひろがりが、「民主連合政府」の実現、国政革新の展望を国民にしめしたことです。当時、日本共産党と社会党(今の社民党)は安保反対での共闘をはじめ、共同の協議と確認が交わされてきていましたが、公明党ですら当時は世論の関係でこれを無視できない状況もありました。

 もう1つは、革新自治体の政策が全国の自治体や国にも波及していったということです。その典型例が、革新自治体ではじまった老人医療費無料化です。これが大きな影響を与えて全国の自治体にひろがり、とうとう72年に国も老人医療費を無料化することになりました。今は、老人医療費の負担がどんどん改悪されてきていますけれども、当時は国も無料化したのです。

3、石原都政など、福祉・教育切り捨ての自治体がなぜひろがり、どう変えていけばいいのか

●80年・社公合意からの変化と「逆立ち」政治の推進

 では、なぜ、70年代に広がった革新自治体とその施策がその後、残念ながら後退していったのでしょうか。その契機として、大きく2つあると思います。

 1つ目は、1980年の「社公合意」です。公明党が社会党と結んだ連合政権についての合意で、(1)日本共産党を協議の対象にしないことと、(2)政策的にも安保と自衛隊を当面存続するという、社会党が革新の共同から離脱し、右転落するというものでした。公明党は、今は公然と自民党とむすんだ与党ですが、当時は、裏で自民党と通じていて、悪い役割を果たしていたのです。

 こうして、80年以降、社会党は、日本共産党とは一緒にやらないと、各革新自治体での共同からどんどん脱落し、各地で日本共産党と住民との共同で革新自治体をひきつづき発展させる努力をおこないましたが、残念ながら後退するということが起きました。

 もう1つの自治体の政策内容にかかわる変化の契機は、政府が自治体に、福祉切り捨ての「行政改革」を押しつけていったことです。【資料】の年表には、81年の「第二次臨時行政調査会」(第二臨調)の発足、85年の自治省「地方行革大綱」を紹介しておきましたが、70年代の末から自治体では革新自治体がきずいた住民サービスの切り捨てがはじまっています。その先頭にたったのは、79年に革新都政を倒して知事に当選した政府官僚出身の鈴木俊一都知事でした。

 一方で公共事業に予算がどんどん振り分けられていくことになります。85年にプラザ合意があり、90年の日米構造協議も含め、日本が輸出しやすい円安を円高に転じさせて、輸出より国内の内需を拡大しろ、そのためには公共事業を増やせという、アメリカの圧力を受け入れました。

 こうして、切り捨てた福祉予算を公共事業にまわしていきました。これが「逆立ち政治」の始まりです。よく「公共事業に50兆、社会保障に20兆」といわれてきましたが、日本は欧米に比べて公共事業が異常に多いのです。欧米では、公共事業より社会保障のほうに予算を使っています。それが本来の姿です。ちなみに、日本では90年代に公共事業に年間使われてきた50兆円のうち、国は20兆円、自治体が30兆円を割り当てられてきました。

 飛行機の飛ばない地方空港とか、船の来ない港が巨大な釣り堀と化しているとか、全国に無駄な公共事業と言われているものはたくさんやられてきましたが、これらが自治体に大きな借金をさせてすすめられてきたのです。

●90年代末から今日にかけて「構造改革路線」のもとでの自治体の変質の進行

 それで次に、事前のご質問の一つにあげられた「石原都政のような、福祉や教育の切り捨てに、きばをむき出す自治体が今日なぜひろがっているのか」という点です。

 90年代後半から、さらに自治体の変質がすすんでいます。自治体が借金を重ねて公共事業をすすめるというやり方は、いつまでも借金は増やせませんから、いつかは行き詰まります。公共事業の中身も、ムダなダムとか、批判がひろがりました。そして出てきた今の小泉内閣の「構造改革」路線というのは、限られた財源を大企業のもうけになるところに集中的に投資しよう、という発想なのです。田舎に税金を使っても、もうかりませんから、無駄だということになってしまいます。地方に税金を使うのをやめて「都市再生」の公共事業に予算を使ったほうが、日本の大企業が国際競争力を確保できる、ということになります。これが小泉内閣の「骨太方針」の考え方です。

 石原都知事の言動やすすめていることも、その考え方の典型です。地方・農村は国民の食料や環境を確保する重要な役割をはたしているのに、そこに国民の税金を使うことをムダだと攻撃して、都市と農村の対立をあおろうとする。都政のなかでは、福祉など自治体本来の仕事は、民間がやればいいといって切り捨て、「都市再生」に予算を集中しています。ずっと凍結されていた環状2号線をつくるとか、外郭環状道路をつくるとか、そういうことをやろうとしています。

 しかし、その方向は、くらしを守るという本来の仕事を投げ捨てる「自治体が自治体でなくなってしまう」方向ですから、住民の利益との間に根本的な矛盾があります。

 また、日本全体をみても、地方・農村を切り捨てていこうという方向は、地方をささえる保守層をふくめた幅広い人々との間の矛盾をふかめています。

 これらの矛盾を背景に、あとでお話しする、自治体の新しい変化と共同が生まれています。

4、市町村合併がなぜいますすめられているのか、それをどうみればよいのか

●誘導と脅しによる合併押しつけ

 いま、政府や財界が全国に約3,150ある市町村を1,000にまで減らすなどといって、合併押しつけをすすめていますが、これも地方・農村切り捨ての一貫です。いまのうちに合併すれば、公共事業の財源を保障するなどの“アメ”の一方で、最初にご説明した、地方交付税はこれから減らしていくからなどと自治体を脅かす“ムチ”も使って合併においたてているわけです。

 どんなへき地でも標準的サービスが受けられるよう、その自治体の地方税収では足りない財源を補って保障しているのが地方交付税制度ですが、ということは、一般に人口が少ない自治体ほど、収入にしめる地方交付税の割合が大きいのです。ですから、「交付税が減るから合併しなければならない」とさかんに脅かしていますが、実は、政府からみれば、合併がすすんで、みんな大きな自治体になれば、地方交付税を減らすことができる、つまり「交付税を減らしたいから合併を押しつけている」のです。実際、市町村数が3分の1程度に減れば、いま約20兆円の規模になる地方交付税を4〜5兆円減らせるという総務省の試算もあるほどです。

 これが合併押しつけの最大のねらいです。

5、「三位一体改革」とは何か、詳しく知りたい

●合併も「三位一体」もねらいは国から地方への財政支出の削減

 いまいわれている「三位一体の改革」というのも、ねらいは合併と同様で、国から地方への財政支出の削減です。

 【右図】を見て下さい。「三位一体」の「三」とは何でしょうか。1つ目は地方税、2つ目は地方交付税、3つ目は国庫補助負担金、この三つを一体的に「改革」するというのが「三位一体」ということの意味です。

 今、日本の税収は国税が5分の3、地方税が5分の2で、税金の入り口では3:2の割合です。これを国が地方に再配分して、出口では国が5分の2、地方が5分の3で、2:3の割合で仕事をしています。

 「三位一体改革」で、最初から地方が税を多く集められるようにするから、その代わり、国から地方への配分を少なくしますよ、という話なのです。これは、一見いいことのように聞こえます。地方の自由が増えそうだからです。

 しかし、今回やろうとしているのは、国から地方に対しての配分を減らす分はたくさん減らして、国税から地方税へは、それより少ない額しか移そうとしていないのです。「8割しか移さない」っていうのが新聞の見出しにあったのを覚えておられる方もいらっしゃると思います。自治体にとっては差し引きマイナスです。しかも、いま国庫補助負担金で財源を保障して自治体がおこなっているサービスを8割の財源で自治体がやるように「効率化した上で移行する」といっているのですが、「効率化」とは、住民サービスの低下が当然、心配されるわけです。

 それから国庫補助負担金をけずった分、「8割移行」といいますが、すべての自治体に「8割」が保障されるかというと、そうではないのです。これも地方や農村ほど収入にしめる地方税の割合は小さく、国庫補助負担金や地方交付税の割合が大きいことでもわかるように、田舎になればなるほど、税金が移されてももともと課税できる相手が少ないので、廃止される国庫負担金の額に遠く及ばないのです。この税収のアンバランスを補うのが地方交付税ですが、その交付税も「三位一体」で「縮小する」わけですから、地方や農村の自治体ほど、この「三位一体改革」を不安に思っているのは当然のことです。

 今、合併押しつけや地方交付税の削減の方向にたいして、自治体の不満が高まっているのが重要です。「地方切り捨て」だという不満です。全国町村会をはじめ、地方をささえてきた自治体関係者や保守層にも幅広い反対の声が広がっています。日本共産党とそういう人たちとの共同が広がっています。

6、「新しい地方政治の流れ」は日本の政治を変えるどのような意味をもつのか

●70年代と異なる新しい共同のひろがり

 さて、そういう中で「新しい地方政治の流れ」はどういう形で広がってきているのでしょうか。

 今、日本共産党が与党の自治体は約100あります。70年代は218でしたから、その約半分ですが、70年代当時と違うのは、今は日本共産党が単独与党の自治体が100のうちの3分の2もあることです。日本共産党員の首長も11人います。

 長野県の田中康夫知事の「脱ダム」と公共事業見直し、三十人学級実現などの方向を支持し、道理のない不信任に反対したのも、政党では日本共産党だけで、県民の共感を集め、4月の県議選では、党議員(推薦を含む)が5名から7名に増えました。

 これは70年代にはなかったことです。当時は、共産党、社会党が共闘していて、社会党が抜けたら革新自治体は崩れるという状況もありました。しかし、80年代以来ひろがってきた日本共産党と無党派の人々の共同の運動の広がりを背景に、今日の自治体切り捨て、住民切り捨ての政治の矛盾の大きさが結びついて、政党としては日本共産党だけであっても、保守層を含めた幅広い住民がいっしょになって、「新しい地方政治の流れ」を生み出しているという点が重要です。

*********** Q&A ***********

●前から疑問だったんですが、国の路線をどうやって地方におしつけているんですか。僕の住んでいる武蔵野市は、20年間土屋市長で、行革路線推進のため自民党から送り込まれてきた人なんです。地方自治体が住民の要求とぶつかったときに、なぜ国に頭が上がらないんですか。

 たとえば90年代に国が地方に対し公共事業をおしつけたやり方は、地方交付税や国庫補助金を使いました。箱物をつくったり、大型の事業をやれば、その分、交付税を増やすとか、補助金が国からくるからという方法です。もちろんそれを改める必要があるのですが、いまの問題は、それを口実にしながら、地方交付税の本来のすぐれた財源保障の機能まで奪ってしまい、自治体の財源をきり縮めようとしていることです。この点は、注意しておいてください。

 それから、「通達行政」も行われています。国と自治体は本来、対等の関係であるべきですが、国から自治体に細かくあれこれと「通達」が出て、自治体でもそれを「指針」に仕事をするということになりがちです。福祉や教育切り捨ての「行革大綱」をつくれとか、どことどこが合併するのがよいか県はパターン図をつくれとか、「通達」とは本来、強制力はないのに、結局それにしたがって多くの自治体で物事がすすめられています。もちろん気骨ある自治体もあるわけで、「合併しないでがんばろう」という自治体のひろがりはその典型です。

 あと、人事交流と称して、国の総務省などの官僚が地方の財政課などに派遣されて来たりします。副知事や助役になっている例もあります。いろんなやり方で国のやり方が貫かれてくるんです。

●日本共産党は、地方自治体の裁量を拡大することを積極的に求めているんですよね。

 そのとおりです。さきほどものべましたが、自治体を財政的に保障してこそ地方自治が確立する、自治体の裁量でいろんなことができるということが大事なのです。それに対して、いまの改悪の動きは、地方交付税や補助金が「ひもつき」のものとして批判があるからといいながら、「ひもつき」のものにゆがめたその問題点だけを改めればいいのに、本来の財政的に保障していく機能を縮小して、自治体への財政支出を削ろうとしているのが問題なのです。自治体の財源が減らされることになれば、自治体には最低限法律で決められた、やらなければならないことがありますから、上乗せの独自サービスなどは、削らなければならないということになってしまいます。

●「三位一体改革」をやったら、自治体によって地方税の額に差ができますか。

 いま「税源移譲」といっても国も財政赤字のなかで、国税から地方税への移譲は本当にやられるのかという疑念を多くの人がもっています。実際にも、狙われているのは消費税率をいまの5%からもっとあげて、その増税分を地方にわたすよとか、地方自治体にそれぞれ、裁量で増税できるように認めるから財源が欲しければ独自に増税せよという方向です。いま地方税のたとえば住民税率などは全国どこの自治体に住んでいても、基本的には同じです。それを自治体独自に税率などを引き上げられるようにしようという方向です。

 これでは地方の裁量といいながら、被害をうけるのは増税される住民ということにもなってしまいます。もちろん自治体が独自課税の工夫をしていくということは、ありえますが、住民の合意が必要な問題です。

●地方自治を尊重する場合、どこまで地方に任せたらいいのでしょうか。

 もともとは「市町村優先の原則」があります。基本的に行政施策は、まず身近な自治体がその仕事をやることを考えよう。そして、市町村の手に余るものは都道府県がやる、都道府県の手に余るものは国がやるということです。【資料】の年表を見て下さい。49年の「シャウプ勧告」で市町村優先の原則が明確にされたのです。

 今日お話したように、日本の場合、地方自治が上からととのえられ、住民サービスもどの地域にいても標準的な最低限のサービスがうけられるという「ナショナル・ミニマム」を自治体が実施することを国が保障するというように整備されたという経緯があります。これはこれで積極的意味があります。ですから、市町村が行う住民サービスの仕事に、都道府県や国が、それぞれの役割と対等の立場で必要な手助けなどをすること自体は、否定すべきことではありません。もちろん、否定的な介入は問題ですが。

 以上で終わります。今日はどうもありがとうございました。

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